2009年05月21日

肉とダンス・カルチャーの明るい未来

宿口 豪 http://www.blenblenblen.jp

皆さん、肉喰ってますか〜?

5月の連休最終日にウチの店恒例の多摩川シュハスコをやりました。

シュハスコってな〜に?という方も多いことでしょう。
シュハスコとはブラジル式のバーベキューです。

一般的なバーベキューと何が違うか?

まず、塊肉を豪快に焼いて、焼けたところを削ぎ落として食べるという点に特徴があります。
しかし我々は人数が多いということもあり、スライスして焼いちゃうものが多いんです。

じゃあ他に何が違うんだよっ!と言われれば、味付けが違います。ココがポイントですよ。

我々日本人が鶏肉を色々な部位に分け、串焼きにして焼き鳥を楽しむように、ブラジル人は牛肉を細かな部位で楽しむワケですよ。

そしてその部位に合わせて様々な味付けがされるのです。ブラジルの味付け3つの要素、塩・にんにく・ヴィネガー(もしくはライム汁)を中心にマリネ液を作り、肉をじっくり漬け込んで焼くのです。

でもシュハスコの基本といえば、岩塩ですよ、塩のみ。

そう、牛肉を塩味で頂くのです。コレがビールに合うんだな、サイコー!

特にシュハスコの花形、ピッカーニャ(イチボ)に岩塩をパラリとかけて焼き、そこに野菜のヴィネガー和え(モーリョといいます)をかけて喰らうのが、もうたまりません。

決して軟らかくないですよ。噛んで噛んで肉の旨みを味わうんですよ。
肉ってそうやって味わうもんだと思います。マグロでいえば美味い寿司屋の赤身って感じかな。中トロでもトゥー・マッチというか。脂のノリよりも旨みを重視しちゃいますね。

日本の焼肉屋で特上カルビのタレを食って「やわらか〜い、溶ける〜ぅ」とか言ってるヤツの口にピッカーニャの塊を突っ込みたくなります。
シュハスコの味を覚えると焼肉屋とかストレス感じるかも。

そして牛肉以外にも、鶏ハツ、ソーセージ、豚バラ、鳥手羽、海老、パイナップル、いろいろ焼きまくりっスよ。

そんなシュハスコ、渋谷でも食べることができます。僕の超お気に入り店デース。是非行ってみてくださいね!


そんなこんなで多摩川のシュハスコだったワケですが、当日はあいにくの悪天候となってしまいました。

前日の予報は降水確率30%、曇り時々雨ってな感じだったので、なんとかなるだろうと見切り発車したらマンマと雨が。
しかも気温もグングン下がり風はビュービュー、フジロックフェスティバルの1回目のようだ、なんて声も聴かれるような壮絶な有様。

川の中州で焼いていたのですが、警備のオッチャンから「このままだと川が増水して中州に取り残されるぞ〜」なんて忠告をもらったのですが、まさかねー、なんてダラダラ焼きそばを焼いていたワケですよ。
すると午後5時頃でしょうか、いよいよホントにヤバいらしいという連絡を受けたものですから、慌てて荷物をまとめて河川敷に移動したんですけど、ものの15分で本当に中洲への道が川の流れに消え失せましたよ。ビビるわ〜。
危うく新聞に「バカなブラジル好き集団、中州に取り残され大迷惑」的な見出しが付いてしまうところでした。
皆さん、自然をナメないでくださいね!

そんなドタバタ劇にもかかわらず、当日90人を越える方々に来て頂きました!
正直そこまで来てもらえるとは思わなかったのでビックリ、感激でした。
僕が地元群馬県大泉町に帰って用意してきた40`の肉は若干余りましたが、みんなモリモリ喰らっていただきました。

晴れていたら130人オーバーだったと予想されるので、完食してもらえたことでしょう。みんな肉好きなんですね!


さて、当日参加者の方から「雨なのにこんなに人がいっぱい集まるのスゴイね〜、クラブ・イベントだってこんだけ集めるの大変なのに〜」なんてお褒めの言葉を頂戴したのですが、なるほどねぇ〜なんて思ってしまったワケです。

確かに僕が昔レギュラーでやっていたパーティーも、小箱とはいえマックスで60人くらいしか呼べてなかったかもな〜、なんて。
DJもライブもナシ、肉だけで100人集まるんだから、やっぱり肉ってスゲー!って思ったのです。
こないだのB+2イベントには250人もの方に来て頂きましたが(ありがとうございました!)、もし『B+2+肉』だったら300人オーバーだったかも!

かつてディスコ全盛の頃ってエントランス・フィー払ったら店内ではフリー・ドリンク、フリー・フードだったんですよね?
それってやっぱり嬉しいッスよね、特に若い連中には。

味はともかく、腹が満たされることが保障されてるんだから、そりゃ踊りに行くだろうな〜なんて。
万が一音楽がつまんなかったり、イイ女・男がいなくても、最低限食い物があればハズした感は和らぐというか。

今のクラブって食べ物扱ってないのに再入場禁止だったりするじゃないですか。
やっぱり踊ったり酒飲んでると、どうしても小腹減りますよね。
美味しいもの飲んで食いたいからタダじゃなくてもいい、せめて食べ物扱ってほしいな〜。

そこで提案!

クラブで肉を出したらいかがでしょうか!?

焼いた肉をサンドしたものでもいいし、ラップ・サンドみたいなものでもいい。牛でもチキンでも豚でもいい。
とにかく食べやすい肉料理を出したら、人気でるんじゃないスかね。

肉は人を惹きつける力があります。音楽、酒、人、そして肉。
ダンス・フロアーの片隅からほんのり肉の焼ける匂いがすれば、みんな「このイイ匂いはどこだ?」ってなるに違いない。みんな買うよ、少なくとも僕は買うね。

海外のクラブとか行った帰りにみんなケバブ喰うでしょ?やっぱり肉だよ。

そういえば僕もDJで参加させてもらってる人気イベントSamba-Novaでは昔からフード・ブースだしていますよね。みんなブラジル飯楽しみにしてるよね。サスガ、先見の明があるネ、ナリータ。

肉を出せば集客に大いに貢献することは間違いない。
ダンス・カルチャーの明るい未来は肉が切り拓くのだ〜!
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2009年05月08日

バラに降る雨

 林 伸次 http://barbossa.com/


 私の四国の実家のすぐ裏には大きなバラ園があった。

 それはバラ園とは言ってもガラスで建てられた大きな温室で、出荷販売が目的のバラ農園だった。その温室はちょうどテニスコートが二つくらい入る大きさで、高さは普通のアパートの二階建て分くらいはあった。

内部には電気やガスも通り、寒い冬の日の夜には暖房やライトが付けられた。そんな日には温室のガラスにたくさんの結露が出来て、やわらかい光が温室の外側にもこぼれ落ち、農園とは無関係の私も、今バラが大切に守られて少しづつ成長しているんだなと安心した。

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 私がまだ幼かった頃、両親が県営住宅を出て自分達の家を建てようということになった。両親は週末になると郊外の色んな物件を見て回った。そしてある時このバラ園の隣にある売り地を見て「ここにしよう。ここなら毎朝バラの香りに包まれて目覚めることが出来る」と母が決めたそうだ。

 実際のところは、毎朝バラの香りに包まれて目覚めるなんてことは不可能だった。バラが咲く時期はほんの短い期間だったし、温室の扉は閉じられていたのでバラの香りは私達の家までは届いてこなかった。逆に私達の家に届いてきた香りと言えば、しょっちゅう散布していた農薬の刺激的な異臭か、肥料の独特のちょっと香ばしい匂いだけだった。

 しかしバラが咲く時期になると、私達の家からは温室の中の満開のバラが見え、ヨーロッパの田舎にいるような気がしたし、出荷時にはこちらの方までバラの甘い香りが届いて来るような気がした。

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 このバラ園を経営している家族は三十代後半の感じの良いご夫婦と私と同い年の女の子の三人家族で、彼らは曜日に関係なくよく三人でバラの世話をしていた。

 私の母が仕入れてきた情報によると、この家族は以前は東京の世田谷区に住み、ご主人は大手の出版社で勤め、奥様は中学の英語の教師をしていたそうだ。二人の間に娘さんが生まれ、最初のうちは近所に住むご主人のお母さんに娘を見てもらっていたが、こんな状況は不自然だと思い、さっさと二人は退職し田舎での生活を計画しはじめた。

 最初のうちは茨城や静岡、長野といった首都圏に近い場所を探していたのだが、こんな考えではいつまでたっても都市生活から離れられないと考え、迷いを振り切るために、誰も知人がいなくて都市へのアクセスも不便で、しかし温暖で物価も安い四国を選んだのだという。

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 私の家はその温室の入り口のすぐ向かい側に位置したので、天気の良い日にはバラ農園の家族三人がそのバラ園の前で農機具を洗ったり、出荷の準備をしたりという作業が眺められた。

 四国でのバラ農園経営というのが経済的にどうなのかはわからなかったが、彼らはそのバラ園のすぐ隣に洋風二階建てのこじんまりとした趣味の良い家に住んでいたし、毎年一度は家族で海外旅行に出かけていたので、今考えてみるとそれなりに裕福な暮らし向きだったのかもしれない。

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 その家族の女の子の話をしよう。彼女はしょっちゅう農作業をしているにもかかわらず肌は色白で髪は肩まで伸ばしていた。目は一重で顔は小さく鼻筋が通り唇も薄くいわゆる典型的な和風美人だった。

 農作業を手伝っている時はジーンズにTシャツという格好だったが街の方に外出する時はフレアの広いスカートに品の良い白のブラウス、あるいは色の薄いワンピースといった服装を好んだ。私と道ですれ違うと彼女のほうから元気な声で「おはようございます」や「こんにちは」といった挨拶をしてくれたが、それ以上の会話は何も交わさなかった。

 今思い出してみると彼女は相当清楚で可愛い女の子だったのだが、その頃の私はまさか彼女に恋心なんて抱かなかった。彼女は県内に唯一の大学付属の私立の学校に通っていたので接点なんかなかったし、まあ想像つくと思うが私は普通に県立の地元の学校でクラスの女の子や部活動の女の子と普通の恋をしていたので、彼女のことを恋愛の対象となんて考えることすら思いつかなかった。

 しかし、今になって考えてみると彼女は自分達とは別の世界の人間なんだと私は考えていたのかもしれない。例えば夏休みに東京からやって来るその家族の友人達は私の周りにいる人達とは全く雰囲気が違った。彼らは大きなラジカセをバラ農園の前に置き、大きな音でジャズを聴きながらその農園の家族と一緒に農作業を楽しんだ。夕方になるとバーベキューの用意をし、みんなで赤ワインを飲みながら遅くまで色んな話をしていた。その会話はもちろん全員標準語だったので、当時の私にとってはなんだかテレビ・ドラマを見ているような気分になった。

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 高校を卒業すると、彼女はオーストラリアの大学に進み、私は東京の大学に進んだのでしばらくの間は彼女には会わなくなっていた。夏休みや正月に帰省すると彼女の姿をバラ農園で見かけたが、結局私は彼女に声をかけなかった。その時点で私は彼女の美しさに気付いていたし、東京生活にも慣れその家族の標準語にも違和感を感じなくなっていたのだが、やはり彼女は私にとっていつまでも遠い存在でいてほしかったのかも知れない。

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 その後、彼女のことなんて全く忘れてしまっていたが、私はある日、突然、週刊誌の記事の中で彼女に再会することになった。

 彼女はオーストラリアで原因不明の死を遂げたらしい。そしてその記事は彼女のオーストラリアでの派手な生活ぶりや乱れた男性関係について報告していた。写真にはいかがわしいパーティで裸同然になっている彼女がいて、記事は一方的に彼女の乱れた生活について糾弾し、彼女の不幸な死については何も触れていなかった。

 記事は海外での日本人女性の乱れた性生活という話しでしめくくられていたが、私が気になったのは写真の中の彼女がとても楽しそうで、こんなに楽しそうな彼女の表情を見たのは初めてだなということだった。
 
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 それから3年後、久しぶりに実家に帰った私は母からバラ農園の夫妻は東京に戻ってしまったという話しを聞いた。旦那さんの方は結構しっかりしていたのだが、奥さんの方がかなり精神的におかしくなっていたそうだ。

 バラ園は誰も世話をしていないのにたくさんのバラの花が咲き乱れていた。大きな温室の前でそんなバラを眺めていると突然雨が降り始めた。私は雨を避けるためにバラの温室の中に飛び込んだ。

 考えてみるとこのバラの温室に入ってみるのは初めてのことだった。小さい頃からずっと眺めるだけだった美しい色とりどりのバラ達の中に今私はいる。しかしバラの甘くて濃厚な香りはあまりにも強すぎて私はむせかえしそうになった。

 そうか、昔母が憧れていたバラの香りに包まれるということはこんなに苦しい気持ちだったんだと私は思った。あのバラ園の家族達もこのバラのあまりにも過剰な香りには最後の方はちょっとまいってしまっていたのかもしれない。

 外の雨は強くなり始め、温室のガラスの外側を滝のように雨水が流れ始めたが、この温室の中のバラには一滴も外の雨は降りかからなかった。

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 アントニオ・カルロス・ジョビンの「バラに降る雨」というとても素敵な曲があります。この曲はインストの時は「チルドレンズ・ゲーム」、英語詞の時は「ダブル・レインボウ」というタイトルになります。先日、NRTの成田さんに「林さんのあのどろっとした文章」とリクエストされたので、この「バラに降る雨」というタイトルを借りてちょっと書いてみました。次回は「ダブル・レインボウ」で書いてみます。

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 雨つながりでひとつ。先日、西荻窪を妻と娘と3人で散歩していたら「雨と休日」というとても素敵なCD屋さんを偶然発見しました。もし自分がバーなんてやってなかったらこんなCD屋さんをやってみたかったなあと思いました。HPではこのお店の良さは伝わらないかもです。是非みなさま、現実のお店に行って、そして買って下さい。あ、私が入店した時はジョアンのブラジルがかかっていましたよ。                   
 
posted by ベーマイストレス at 06:28| Comment(4) | ブログ

2009年05月01日

村上春樹と『ミナス』

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barquinho ヒガシノリュウイチロウ http://barquinho.biz/

 音楽好きかつ活字好きな男子の御多分に洩れず、20代から30代前半にかけては村上春樹氏の小説に少なからず影響を受けました。しかし、様々な要因からここ十年くらい彼の小説から遠ざかっていたのですが、ここ最近、エルサレム賞での講演が話題になったり、『ノルウェイの森』が映画化されるということから、未読だった『スプートニクの恋人』や『海辺のカフカ』などを読み、『ノルウェイの森』や『風の歌を聴け』を再読したりしています。
 12年ほど前、村上朝日堂というホームページがあって、その中に村上春樹氏が読者からのメールに答えるというコーナーがあり、僕もなにげなく送ってみたのですが、なんと一度だけ本人から返事が来たことがあったのです。内容的には僕が、「村上さんの小説にはボサノヴァが少し出てきますが、他のブラジル音楽は聴かれますか?僕は最近ミルトン・ナシメントの『ミナス』にはまっているので強くおすすめします」的なことを書いたら、「ブラジル音楽は以前から好きで、『ミナス』は何度聴いても素晴らしい。バーデン・パウエルも素敵ですね」みたいな返事を送ってくれ、とても嬉しかったのを覚えています。
 さて、この『ミナス』というアルバム。僕は70年代MPBの金字塔と思っているのですが皆さんはどうお感じですか。僕がブラジル音楽、というかボサノヴァを真剣に聴き始めたのは1992年頃で、先の村上氏へのメールを書いた時期はそれから5年ほど経過していました。当時は今ほどボサノヴァの音源が豊富に巷に出回っていなかったものの、その5年間で主要なボサノヴァのアルバムは大体聴き終わっていましたし、もちろん、ミルトン・ナシメントも何枚かのアルバムは聴いていましたが、あまり強い印象が残っておらず、『ミナス』は聴いたことが無かったのです。そんな1997年、『ミナス』はブラジルでのリリース(1975年)から22年の時を経て初めて日本でリリースされました。当時僕は『ミナス』を聴いて、その完成度の高さ、深遠さ、そしてミルトンの作品中この作品がだけが持っているある種の“悲しみ”の感覚に打ちのめされました。ミルトンはビートルズの大ファンということですが、まさに『ミナス』にはビートルズの音楽が持っていたのと同様の“悲しみ”の感覚が宿っているように感じたのです。ちょうどその当時、私生活でいささかショッキングなことがあり、その心境と『ミナス』がシンクロしていて、それこそ毎日毎日聴き続けたものでした。
 村上春樹氏の小説にもビートルズ、そして『ミナス』と同様の“悲しみ”の感覚があると感じていたので、彼がすでに『ミナス』を聴いていたことは嬉しかったし、自然なことに感じられたのです。小説『ノルウェイの森』のあとがきで彼は“アテネの安ホテルの部屋にはテーブルというものがなくて、僕は毎日おそろしくうるさいタベルナに入って、ウォークマンで『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のテープを120回くらいくりかえして聴きながらこの小説を書きつづけた。そういう意味ではこの小説はレノン=マッカートニーのa little helpを受けている。”と書いています。『サージェント・ペパーズ』は僕の無人島ディスクの一枚だし、日本版CD『ミナス』のボーナストラックにはミルトンによる「ノルウェイの森」のカヴァーが入っています。僕は、バルキーニョに来られたお客さんとお話をしてロック好きだとわかった人にはまず「ミルトンの『ミナス』は聴いたことがありますか?」と尋ねることにしています。そして聴いたことが無いという方には『ミナス』をお聴かせしているのですが、その、一般的なブラジル音楽の認識からかけ離れたサウンドに驚かれる方が多いですね。ただし、『ミナス』をかけるのは深夜、ゆっくりお話できる時間帯に限らせてもらってます。軽くお酒を飲んで楽しみたい人にはちょっと重すぎる音楽だと思うので…。

posted by ベーマイストレス at 14:32| Comment(0) | ブログ