2009年05月08日

バラに降る雨

 林 伸次 http://barbossa.com/


 私の四国の実家のすぐ裏には大きなバラ園があった。

 それはバラ園とは言ってもガラスで建てられた大きな温室で、出荷販売が目的のバラ農園だった。その温室はちょうどテニスコートが二つくらい入る大きさで、高さは普通のアパートの二階建て分くらいはあった。

内部には電気やガスも通り、寒い冬の日の夜には暖房やライトが付けられた。そんな日には温室のガラスにたくさんの結露が出来て、やわらかい光が温室の外側にもこぼれ落ち、農園とは無関係の私も、今バラが大切に守られて少しづつ成長しているんだなと安心した。

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 私がまだ幼かった頃、両親が県営住宅を出て自分達の家を建てようということになった。両親は週末になると郊外の色んな物件を見て回った。そしてある時このバラ園の隣にある売り地を見て「ここにしよう。ここなら毎朝バラの香りに包まれて目覚めることが出来る」と母が決めたそうだ。

 実際のところは、毎朝バラの香りに包まれて目覚めるなんてことは不可能だった。バラが咲く時期はほんの短い期間だったし、温室の扉は閉じられていたのでバラの香りは私達の家までは届いてこなかった。逆に私達の家に届いてきた香りと言えば、しょっちゅう散布していた農薬の刺激的な異臭か、肥料の独特のちょっと香ばしい匂いだけだった。

 しかしバラが咲く時期になると、私達の家からは温室の中の満開のバラが見え、ヨーロッパの田舎にいるような気がしたし、出荷時にはこちらの方までバラの甘い香りが届いて来るような気がした。

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 このバラ園を経営している家族は三十代後半の感じの良いご夫婦と私と同い年の女の子の三人家族で、彼らは曜日に関係なくよく三人でバラの世話をしていた。

 私の母が仕入れてきた情報によると、この家族は以前は東京の世田谷区に住み、ご主人は大手の出版社で勤め、奥様は中学の英語の教師をしていたそうだ。二人の間に娘さんが生まれ、最初のうちは近所に住むご主人のお母さんに娘を見てもらっていたが、こんな状況は不自然だと思い、さっさと二人は退職し田舎での生活を計画しはじめた。

 最初のうちは茨城や静岡、長野といった首都圏に近い場所を探していたのだが、こんな考えではいつまでたっても都市生活から離れられないと考え、迷いを振り切るために、誰も知人がいなくて都市へのアクセスも不便で、しかし温暖で物価も安い四国を選んだのだという。

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 私の家はその温室の入り口のすぐ向かい側に位置したので、天気の良い日にはバラ農園の家族三人がそのバラ園の前で農機具を洗ったり、出荷の準備をしたりという作業が眺められた。

 四国でのバラ農園経営というのが経済的にどうなのかはわからなかったが、彼らはそのバラ園のすぐ隣に洋風二階建てのこじんまりとした趣味の良い家に住んでいたし、毎年一度は家族で海外旅行に出かけていたので、今考えてみるとそれなりに裕福な暮らし向きだったのかもしれない。

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 その家族の女の子の話をしよう。彼女はしょっちゅう農作業をしているにもかかわらず肌は色白で髪は肩まで伸ばしていた。目は一重で顔は小さく鼻筋が通り唇も薄くいわゆる典型的な和風美人だった。

 農作業を手伝っている時はジーンズにTシャツという格好だったが街の方に外出する時はフレアの広いスカートに品の良い白のブラウス、あるいは色の薄いワンピースといった服装を好んだ。私と道ですれ違うと彼女のほうから元気な声で「おはようございます」や「こんにちは」といった挨拶をしてくれたが、それ以上の会話は何も交わさなかった。

 今思い出してみると彼女は相当清楚で可愛い女の子だったのだが、その頃の私はまさか彼女に恋心なんて抱かなかった。彼女は県内に唯一の大学付属の私立の学校に通っていたので接点なんかなかったし、まあ想像つくと思うが私は普通に県立の地元の学校でクラスの女の子や部活動の女の子と普通の恋をしていたので、彼女のことを恋愛の対象となんて考えることすら思いつかなかった。

 しかし、今になって考えてみると彼女は自分達とは別の世界の人間なんだと私は考えていたのかもしれない。例えば夏休みに東京からやって来るその家族の友人達は私の周りにいる人達とは全く雰囲気が違った。彼らは大きなラジカセをバラ農園の前に置き、大きな音でジャズを聴きながらその農園の家族と一緒に農作業を楽しんだ。夕方になるとバーベキューの用意をし、みんなで赤ワインを飲みながら遅くまで色んな話をしていた。その会話はもちろん全員標準語だったので、当時の私にとってはなんだかテレビ・ドラマを見ているような気分になった。

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 高校を卒業すると、彼女はオーストラリアの大学に進み、私は東京の大学に進んだのでしばらくの間は彼女には会わなくなっていた。夏休みや正月に帰省すると彼女の姿をバラ農園で見かけたが、結局私は彼女に声をかけなかった。その時点で私は彼女の美しさに気付いていたし、東京生活にも慣れその家族の標準語にも違和感を感じなくなっていたのだが、やはり彼女は私にとっていつまでも遠い存在でいてほしかったのかも知れない。

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 その後、彼女のことなんて全く忘れてしまっていたが、私はある日、突然、週刊誌の記事の中で彼女に再会することになった。

 彼女はオーストラリアで原因不明の死を遂げたらしい。そしてその記事は彼女のオーストラリアでの派手な生活ぶりや乱れた男性関係について報告していた。写真にはいかがわしいパーティで裸同然になっている彼女がいて、記事は一方的に彼女の乱れた生活について糾弾し、彼女の不幸な死については何も触れていなかった。

 記事は海外での日本人女性の乱れた性生活という話しでしめくくられていたが、私が気になったのは写真の中の彼女がとても楽しそうで、こんなに楽しそうな彼女の表情を見たのは初めてだなということだった。
 
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 それから3年後、久しぶりに実家に帰った私は母からバラ農園の夫妻は東京に戻ってしまったという話しを聞いた。旦那さんの方は結構しっかりしていたのだが、奥さんの方がかなり精神的におかしくなっていたそうだ。

 バラ園は誰も世話をしていないのにたくさんのバラの花が咲き乱れていた。大きな温室の前でそんなバラを眺めていると突然雨が降り始めた。私は雨を避けるためにバラの温室の中に飛び込んだ。

 考えてみるとこのバラの温室に入ってみるのは初めてのことだった。小さい頃からずっと眺めるだけだった美しい色とりどりのバラ達の中に今私はいる。しかしバラの甘くて濃厚な香りはあまりにも強すぎて私はむせかえしそうになった。

 そうか、昔母が憧れていたバラの香りに包まれるということはこんなに苦しい気持ちだったんだと私は思った。あのバラ園の家族達もこのバラのあまりにも過剰な香りには最後の方はちょっとまいってしまっていたのかもしれない。

 外の雨は強くなり始め、温室のガラスの外側を滝のように雨水が流れ始めたが、この温室の中のバラには一滴も外の雨は降りかからなかった。

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 アントニオ・カルロス・ジョビンの「バラに降る雨」というとても素敵な曲があります。この曲はインストの時は「チルドレンズ・ゲーム」、英語詞の時は「ダブル・レインボウ」というタイトルになります。先日、NRTの成田さんに「林さんのあのどろっとした文章」とリクエストされたので、この「バラに降る雨」というタイトルを借りてちょっと書いてみました。次回は「ダブル・レインボウ」で書いてみます。

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 雨つながりでひとつ。先日、西荻窪を妻と娘と3人で散歩していたら「雨と休日」というとても素敵なCD屋さんを偶然発見しました。もし自分がバーなんてやってなかったらこんなCD屋さんをやってみたかったなあと思いました。HPではこのお店の良さは伝わらないかもです。是非みなさま、現実のお店に行って、そして買って下さい。あ、私が入店した時はジョアンのブラジルがかかっていましたよ。                   
 
posted by ベーマイストレス at 06:28| Comment(4) | ブログ