2009年09月03日

アストラッド・ジルベルトの謎

barquinho ヒガシノリュウイチロウ http://barquinho.biz/

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 今回は少しアストラッド・ジルベルトのことを…。アストラッドって、多くの人がボサノヴァを意識し、聴き始める入り口にいるアーティストなのではないでしょうか。実際僕も若い時にアルバイトしていた喫茶店にあったレコードで初めて聴いて興味を持ち、ベスト盤を買って聴きこんだくちです。でも、人は何故ボサノヴァやブラジル音楽にのめりこんでいくと、アストラッドを聴かなくなっていくのでしょう。アメリカで活躍したから?ブラジルで人気が無いから?英語で歌うから?作品を重ねるごとにブラジルっぽくなくなったから?いまいち本人にアーティスティックなポリシーを感じられないから? まあ、どれも僕が勝手に想像で書いているわけですけど、当たらずといえども遠からずというところではないかな。熱心なブラジル音楽ファンのあいだでは「アストラッド好き」って言うのさえ憚られる空気さえ感じられたりします。

 そんなアストラッドへのいわれのない偏見を覆すべく思い切って書いてしまいますが、僕はアストラッド・ジルベルトのファースト・アルバム『The Astrud Gilberto Album』をボサノヴァの最高傑作のひとつと考えています。とは言うものの僕が単にひとりで叫んでいるだけで、全く何の権威も無いわけだし、ボサノヴァの秀逸なアルバムは他にも沢山あるのはわかりますが、とりあえずボサノヴァファンにもう一度アストラッド・ジルベルトを聴いてもらうためにもそう言い切ってしまいましょう。

 『The Astrud Gilberto Album』は日本盤で『おいしい水』というタイトルで出ていて現在まで何度も再発されているので入手は困難ではないと思います。さて、何故このアルバムをボサノヴァの最高傑作と考えるかというと、まず第一に選曲のわかりやすさです。このアルバムはドリヴァル・カイミの「アンド・ローゼズ・アンド・ローゼズ」の1曲を除き全てアントニオ・カルロス・ジョビンの作品で、スタンダード・ナンバーを多く含み、さらにジョビン自信もギターとヴォーカルで参加しています。演奏面ではさらにピアノにジョアン・ドナートが参加しているのも聴き所ですし、マーティ・ペイチのオーケストラ・アレンジも過不足無く心地良い。そしてなんと言っても素晴らしいのはアストラッドの歌声。『ゲッツ/ジルベルト』の「イパネマの娘」と「コルコヴァード」の延長線上にある初々しい歌声を全編で聴かせてくれます。このアルバムの企画は当然、シングル盤「イパネマの娘」の大ヒットを受けてのものなので、プロデューサーであるクリード・テイラーの気合いも相当なものだったのではないでしょうか。おすすめの1曲はアルバム最後の「All That's Left Is to Say Goodbye」。この曲はポルトガル語の「É Preciso Dizer Adeus」の方が有名かもしれませんが、アストラッドのヴァージョンは他のものよりリズムが軽やかで全く別の曲のよう。聴き比べてみるのも面白いと思いますよ。

 こういう仮定をするのは不毛とは思いますがあえて言うと、もしアストラッド・ジルベルトがいなかったら、こんなにも世界にボサノヴァは浸透しなかったと思うのです。アントニオ・カルロス・ジョビンの良さ、ジョアン・ジルベルトの良さは音楽的にマニアックな嗜好の人にうける性質のもので、『ゲッツ/ジルベルト』にしてもアストラッドのヴォーカルが入っていなければ、大ヒットは難しかったでしょう。そう、あの「イパネマの娘」はアストラッドの歌声があったから世界的に大ヒットしたと思うのです。以前あるボサノヴァのTVドキュメンタリー番組で名ベーシスト、セバスチァン・ネットが、『ゲッツ/ジルベルト』録音時のアストラッドのヴォーカルを「ひどかった、最悪だった」としきりにこきおろしていましたが、何故そこまで言うのか不思議でなりませんでした。だって、アストラッドのヴォーカルが魅力的だったからこそ、プロデューサーのクリード・テイラーはシングル盤「イパネマの娘」をアストラッドのヴォーカルのみを残して(ジョアン・ジルベルトを削除して)リリースし、それがマニア以外の一般の音楽ファンに受け入れられたのですから。

 アストラッドのヴォーカルの最大の魅力は「拙さと大人っぽさの絶妙なブレンド」でしょうか。歌を巧く聴かせる要素である声量、抑揚、ビブラートはどれも無いに等しいのに声質が大人っぽくクールなので、クロディーヌ・ロンジェやジェーン・バーキンのようなささやき系ロリータ・テイストになっていないところや、高音部の不安定さが儚い感じを醸し出しているところなどは、偶然とも思えるけどそれも一種の実力。そしてこれは特筆すべきところだけど、ちゃんとブラジルのリズム感を持っているところもポイントが高いですね。

 近年になってボサノヴァ初期の音源がネット上に流れ出し、今まで絶対に聴くことができないと思っていた貴重な演奏が続々と聴けるようになったのですが、1960年5月に行われた建築大学でのボサノヴァ・コンサートの記録もそのひとつ。なんとこのコンサートのトリにジョアン・ジルベルトがアストラッド・ジルベルトといっしょに出演しているのです。注目すべきは当時のアストラッドの歌声。これが、「イパネマの娘」やそれ以降の歌声と全く違う堂々としたものなのですね。当時のシルヴィア・テリスの唱法をまねている感じでしょうか。つまりまだサンバ・カンサォンの香りが残る歌声なのです。この演奏から「イパネマの娘」まで4年の歳月があるのですが、どういう経緯でアストラッドのヴォーカルが変化を遂げたのかが謎です。だって、1960年の時点では、上手いとは思うけどありがちな歌声なのです。もしジョアンが「イパネマの娘」で聴かれるような唱法に導いたとするならば、なぜこの時点で同じ歌い方をしていないのでしょう。きっと、人前で歌うまでにジョアンとかなりの量のリハーサルをしていたはずだし、ジョアンの歌声もいやというほど聴いていたはずなので、ジョアンの指導ではないような気がするのです。それではジョビン? クリード・テイラー? それともアストラッド自信が自分で編みだした唱法なのでしょうか? この疑問に対する答えが書かれた文献や話を聞いた事が無いので、どなたか答えを知っていたらお教えください。お店でワイワイこれについて議論するのも楽しいかもしれませんね。
posted by ベーマイストレス at 00:24| Comment(0) | ブログ