2009年11月05日

太陽、塩、南 〜 ホベルト・メネスカル

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barquinho ヒガシノリュウイチロウ http://barquinho.biz/

 「いかにしてボサノヴァ/ブラジル音楽にたどりついたか」シリーズ、まだまだ続けます。今回は弊店barquinhoの元ネタであるボサ・スタンダード曲「O Barquinho」の作曲者ホベルト・メネスカルについて。

 ボサノヴァを聴き始めた頃アントニオ・カルロス・ジョビンは別格として、「この曲はお洒落なコード進行だな」と思う曲はほとんどがホベルト・メネスカルかマルコス・ヴァーリ作曲のものでした。そして彼ら二人の代表曲の多くはリオ・デ・ジャネイロの夏を歌ったもので、いわゆる「太陽、塩、南」路線と言われるものだったのです。(「太陽、塩、南」はメネスカルと作詞のホナルド・ボスコリの曲「Rio」に出てくる歌詞。メネスカルはボスコリと多くの名曲を作っています。)僕はいまだにボサノヴァの中でもこの路線の曲が一番好きで、ヴィニシウス・ヂ・モライスの哲学的な世界と同じくらいに、「太陽、塩、南」の青春路線は普遍的なものだと思っています。ちなみにこの路線をジャケット、収録曲、アレンジ、歌声全てでパーフェクトに表現しているアルバムはワンダ・サーの『ヴァガメンチ』でしょう。そう、このアルバムのタイトル曲「ヴァガメンチ」はメネスカル&ボスコリの曲ですし、アルバムのプロデュース自体がホベルト・メネスカルなのです。

 メネスカル&ボスコリは「O Barquinho」「Rio」「Vagamente」の他にも「Ah!, se eu pudesse」「A morte de um deus de sal」「Telefone」「Tete」「Voce」など多くの曲を作っているので、ボサノヴァのアルバム、コンピレーションCD等で知らず知らずのうちにそのメロディが無意識に耳に残っているはず。メネスカルはボサノヴァ時代以降もギタリスト、プロデューサーとして重要なアルバムに参加し、ブラジル・フィリップス社の重役まで務めていました。有名なところではエリス・レジーナの全盛期のアルバム『コモ・イ・ポルケ』や『イン・ロンドン』でギターを弾き、アレンジもしていますし、ナラ・レオンの晩年のボサノヴァ期の多くのアルバムもメネスカルとの共演で実現したものといえます。

 と、ここまでメネスカル氏の功績について書いてきましたが、近年の活動はちょっと「あれ?」という部分無きにしもあらずというのが正直なところ。彼とカルロス・リラによる映画『ディス・イズ・ボサノヴァ』については、ボサノヴァ発生時のエピソードは楽しいし、リオの雰囲気を行った事のない人に味わってもらうには良い映画と思いますが「むむ。この人選はどうかな?」的な部分も否めません。ご自身のレーベルで多数制作している「○○をボサノヴァ的にアレンジしてみましたコンピ」等についてもなんだかなぁという気が…。でも、昨年来日された時に会いに行って「バルキーニョという店をオープンしましたのでサインちょーだい!」と言ったらちゃんと快く書いてくれたし、まーいいか(笑)。

 そうそう、先日バルキーニョで中村善郎さんのライヴがありましたが、その時ちょっとおもしろいエピソードをお聞きしました。なんでも以前メネスカル氏が来日した時に、中村さんがメネスカル氏の前で「O Barquinho」を歌ったところ「いいねぇ。それはいったい誰の曲だ?」と言ったそう。その瞬間横にいたレイラ・ピニェイロが大爆笑していたらしいのですが、まんざら冗談のような雰囲気でも無かったらしいです。中村さんは「よっぽど僕の演奏が悪かったのかなぁ。そんなことは無いとは思うのだけど」とおっしゃっていましたが、まさかそんなわけないですよね。なんかその適当な感じが憎めないし、やっぱりホベルト・メネスカルの曲が無かったら確実にボサノヴァは何割か魅力が減じていたと思うのです。
posted by ベーマイストレス at 16:42| Comment(0) | ブログ