2008年12月01日

ジョアン・ジルベルトのチケット

ジョアン・ジルベルトの12月14日(日)のチケットが2枚あまっています。
2階7列目の連番。S席(12,000円)です。
もしご希望の方がいらっしゃれば、barquinhoの東野にメールお願いします。
higashino@novabossanova.com
よろしくお願いします。
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2008年11月25日

クラブ・ミュージックと歌心

Bar Blen blen blen 宿口 豪 http://www.blenblenblen.jp

皆さん、突然ですがクラブ・ミュージック好きですか〜?

11/28に、リットー・ミュージックより『クラブ・ミュージック名盤400』という本が発売されます。1988年から2008年までの20年間にリリースされたクラブ・ミュージック・アルバム名盤を総括・網羅した画期的なガイドブックです。監修はダンス・ミュージック・レコードの小川充さん。豪華執筆陣のどさくさにまぎれ、僭越ながらワタクシも原稿を書かせて頂いたので、是非本屋で手にとってくださいネ!ブラジル音楽を聴く上で最早クラブ・ミュージックは欠かせませんよ。そのワケはコチラを見てね!

さて、リットーミュージックといえば、昨年発売されたムック『パーカッション・マガジンvolume02』皆さん読みましたか?特集は「ブラジルの打楽器」。
その中にブラジルのパーカッションに関する有名人へのインタヴューが多数掲載されているのですが、月刊『ラティーナ』(恒例の2008ブラジル・ディスク大賞の投票始まってますよ)の船津亮平さんの話がとても興味深かったので以下に引用します。

「パーカッション・マガジンの読者の方に話すのも何ですが・・・ブラジルには世界中から影響を受けたさまざまな面白い楽器がありますが、何と言っても、ブラジル音楽はどのジャンルでも“歌”が魅力だと思うんです。ブラジル人は歌いたがりの性格だと思うんですよね。言葉がわからなくても、ボサノヴァとかを聴くと歌心がわかるじゃないですか。基本は“歌心”なんだと思います。」

コレには激しく納得するな〜。
飲食店のウェイターが超デカイ声で歌ってたり、ゲーセンにあるカラオケ・マシーンで人目をはばからず熱唱してたり、コンサート会場でオンチな声が延々後ろから聞こえてきたり・・・(ちなみにカネカォンで観たシコ・ブアルキのショウの終盤、会場大合唱で耳にしたカリオカの“S”訛り、“シュ”の爆音はスゴかった)。
ブラジル人の人懐っこさの象徴でもあるような気がします。ホント歌うの好きですよね。で、そんな国だからいい曲多いんだな、コレが。

例えば、そうだな〜・・ホベルト・カルロスの「Detalhes」。う〜ん、サイコー。絶対みんな聴かなそうなファビオJrの「A cumplice」(原曲はジュカ・シャービス)もベイビー・フェイス風アレンジでナイス。アナ・カロリーナとセウ・ジョルジの「E isso ai」もブラジル人が絶対好きな感じですな。チン・マイアの「Azul da cor do mar」は甥っ子のヴァージョンも大好き。
鼻歌好きの僕もブラジルのベタッ〜としたメロディーにはついついヤられちゃうんですよね。

もともと日本の70、80年代の歌謡曲が大好きだったので、美しく憂いのあるメロディーには無条件に反応してしまうのですよ。皆さんも筒美京平メロディー好きでしょ?で、ブラジル人の好きなメロディーと日本の古き良き歌謡曲ってとても近いと思うのですが、いかがでしょう。例えばアナ・カロリーナの曲。山口百恵的な良さを感じてしまうのは僕だけでしょうか。そして以前ブレンのブログに書きましたが、ファンキ・クイーンのペルラに80'Sアイドル歌謡へのオマージュたる松浦亜弥的な魅力を感じてしまうんですよね。
あとチン・マイアの魅力って“ソウル”というより、むしろ“歌謡”的な気がする(カシアーノの方がより“ソウル”っぽいと思う)。

日本人とブラジル人が琴線に触れるメロディーは案外近いのかも!だとすれば、ブラジル音楽のマーケットは日本にまだまだあるかもしれませんね。演歌を聴いてる老人にブラジル音楽を聴かせよう!さあ、貴方のご両親にも是非!なんつって。


クラブ・ミュージックが持つ先鋭的な実験精神と、歌謡曲が持つ老若男女を問わない普遍性。Bar Blen blen blenでも最先端の音と歌い継がれる名曲をバランスよくプレイしつつ、あらゆる面で先鋭性と普遍性を兼ね備えた店を目指して、適度に頑張っていきますよ〜!

よっしゃ、まとまった。



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2008年11月20日

渋谷B+2イベント日決定!

渋谷B+2が2009年3月8日(日)に渋谷のSECOでイベントをします。

みなさん、是非、その日の予定を空けておいて下さい。

詳細は少しづつこのブログでアップしていきます!
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2008年11月08日

ジョビンとギネスと黄金の歳月、あるいは東急プラザ裏の電話ボックス

電話.bmp
bar bossa  林 伸次 http://www.barbossa.com/


 渋谷の東急プラザの裏に不思議な電話ボックスがある。
 その電話ボックスは見た目には普通の電話ボックスなのだが、何故かいつも十数人くらいが列をつくって並んでいる。そして電話ボックスから出てくる人達がまた不思議なのだ。人によっては目を真っ赤にして泣きはらした顔で出てくる場合もあるし、がっくりと肩を落としてため息をつきながら出てくる人もいる。この間なんか電話ボックスから出るなり「よし今日からもう一度がんばるぞ!」なんて大声を出していた人もいた。毎日、東急プラザの地下でライムやミントを買う前に、この行列を目にするので「いったいこの電話ボックスは何なんだろう?みんなは誰と話してあんな様々な表情を見せているんだろう?」と気になっていた。

 ある日、おもいきって列の一番後ろにいる人に「この電話ボックスは誰と話せるんですか?」と訊ねてみた。すると彼は「いや私も実は正確には知らないんですけど、どうやら信じられないような人物と話しが出来るらしいんです」と教えてくれた。普通ならこんな時は「?」のまま東急プラザの地下へと向かうのだが、何故かその日は何かを感じてその列に並ぶことにしてみた。電話ボックスから出てくる人達の様々な表情を眺めながら、私はこの電話で話せる相手を想像してみた。もしかして喧嘩している友人と和解が出来る電話なのかもしれない。あるいは、もう死んでしまった人達と話しが出来るのかもしれない。あるいは神様のような人と話せるのかもしれない。

 なんてことをあれこれと想像しながら私は自分の順番が来るのを待った。4,50分ほど待っただろうか。やっと順番がまわってきて、私は電話ボックスの中に入ってみた。見た目はやはり普通の灰色の公衆電話だ。私は受話器をあげて耳に近づける。すると突然、男の声が聞こえた。 
「もしもし。あの、そっちは本当に20年後の俺なの? もしもし、あの、こっちは20年前の俺なんだけど」
まいったな。どうやらこの落ち着きのない、どうも自意識過剰気味な喋り方は、20年前の自分のようだ。私はこう答える。
「もしもし。ええとこっちは突然で今ひとつ理解できていないんだけど、そっちは20年前の、ええと1988年の俺なんでしょうか?」
「ああ、やっぱりそうなんだ。いや俺も騙されたのかと思ってさ。そっち、2008年なんだよね。ええと、単刀直入に聞くけど、20年後の俺ってミュージシャンになってる?」
そうだ。あの頃はミュージシャンになりたいと思っていたんだ。
「あのさ、ミュージシャンになんかなってるわけないだろ。大体おまえって何にも満足に楽器なんて弾けないし、曲なんて作ったことないだろ。おまえ、その気持ちだけ突っ走っちゃう癖、やめたほうがいいと思うよ」と答える。
「そうか。やっぱり無理か。いや俺もミュージシャンにはなってみたいけど、ちょっと無理なんじゃないかな、なんて思っていたんだ。で、今はそっちは何をやっているの?」
「渋谷でボサノヴァのバーをやってるよ」
「ボサノヴァのバー…。ふーん。ああ、DJとかライブとか入って外人とかいっぱいいる感じ?」
「いや、そういうんじゃないんだ」
「じゃあ古いレコードがずらっと並んで、真空管のアンプで聴かせて、お客さんどうしがみんな音楽の話しをしてるような感じかな?」
「いや、そういうのでもないんだ」
「どういうバーなの?」
「あの、ワインがメインでボサノヴァはBGMって感じで、恋人達が話したりしてる感じかな」
「へえ、ワインと恋人達…。よくわかんないな。そういうお店やってて楽しいの?」
「まあわかんないとは思うけど、大人には色々あるんだよ」
受話器の向こうから19才の私がため息をついている声が聞こえてくる。まさか自分が20年後に「大人には色々ある」なんて説明をする人間になるなんて想像もしなかったのだろう。私はちょっと今の自分のことを彼に感心させようと思ってこう言ってみる。
「あ、音楽の仕事っていうか、CDのライナーとか雑誌でちょっとした文章くらいなら時々書いてるよ」
すると突然19才の私は怒った口調でこう話し出す。
「あのさあ、俺、いつも思うんだけど音楽評論家って人種って最低だよね。自分では何にも作り出せないのに、他人の作品に対して良いとか悪いとか言う奴でしょ。一回でも自分で真っ白な状態から何か作品を作り出すっていう難しさを知ったら、普通はそれに対して無責任に良いとか悪いとかって言えなくなると思うよ」
「いや、そういうことじゃないんだ」

なんとなく気まずくなった雰囲気を察した19才の私がこう切り出す。
「話し、変えるよ。あの俺さ、これからロンドンに行ってしばらく日本に帰ってこないで自分のことを色々と試してみたいと考えているんだけど、どうかなあ?」
「うーん、まあはっきり言ってしまうと、ロンドンはおまえが想像しているような場所じゃないよ。最後はロンドンのホテルの部屋でずっと日本語の本ばかり読む生活になると思うよ」
「そうなの? じゃあやっぱりNYとかの方がいいのかなあ」
「いや、ロンドンでいいんじゃない」
「ホント? 無責任な言葉だよな。あ、じゃあロンドンに行ったらこれだけはしておいた方がいい、とかってアドバイス何かある?」
「アドバイス…。うん、ロンドンにはパブっていう立ち飲みの酒場があるからそこに行ってギネスっていうビールを飲むといいと思うよ。パブってところは、別においしい食べ物があるわけでもないし、バーテンがカクテルを作ってくれるわけでもない。もちろんイッキや合コンをやっている人もいないし、DJやライブが入るわけでもない。ただビールと場所があるだけなんだ。でもね、イギリス人はそこで友人達ととても楽しそうにビールを飲んでいるから。おまえのことだからイギリス人に声をかけたり出来ないし、そのビールもそんなにおいしいとは感じないとは思うけど。でもただぼんやりとイギリス人が楽しそうにビールを飲んで話しているのを見ておくのって大切な経験だとは思うよ」

「ふーん。じゃあさ、何かオススメのボサノヴァとかってある?」
「アントニオ・カルロス・ジョビンっていう人がパッサリンっていうアルバムを出しているんだけど、ええと確か1987年発表だからもうそっちにもあると思う。そのアルバムで『黄金の歳月』っていう曲が収録されているんだよね。この曲なんかオススメかな」
「へえ、どういう曲なの?」
「そのジョビンっていう人はボサノヴァを代表する作曲家なんだけど、1960年代にアメリカに渡って大成功するんだよね。で、70年代も意欲的な問題作を何枚か発表するんだけど、80年代にはブラジルに戻って隠居生活のような状態になるわけ。でも80年代の半ばに昔からの友人や家族だけがメンバーのバンドをつくってワールド・ツアーをしたんだよね。で、その後、このパッサリンっていうアルバムを突然発表したわけ。でこの『黄金の歳月』なんだけど、パッと聴きは昔の恋人を思い出して電話するっていうありがちな恋の歌なんだよね。でもこの曲は実はボレロがテーマになってるんだ。ブラジル人にとってボレロっていうとボサノヴァなんかが流行る以前の『あの懐かしの輝いた時代の音楽』っていうイメージがあるわけ。そうジョビンにとってボレロっていうとまだ自分が若くて音楽を創作する苦しみも知らなくてただただ音楽を純粋に楽しめた時代の音楽っていうイメージなんだよね。ジョビンはもうあの頃には戻れないのは知っているんだけど、ちょっと振り返ってしまうわけ。そんな曲なんだけどね」
「ふーん、よくわかんないけど、まあそこまで熱く語るんなら今度聴いてみるよ。ところで今そっちは幸せ?」
「まあね」
「1988年に戻ってみたいなんて思ったりする?」
「まさか」
「言うね」
「悪いね」
と私が言うと、突然電話は切れた。後ろで並んでいる人が不安そうにこちらを見ている。私は電話ボックスを出て東急プラザの地下にライムとミントを買いに向かった。
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2008年11月02日

『ボサノヴァの歴史』に登場するお酒について(その3)

barquinho ヒガシノリュウイチロウ http://barquinho.biz/

vinicius002.jpg

ジョアン・ジルベルトの日本公演が突然延期になってしまい、連休のスケジュールがポッカリ空いてしまった方も多いのではないでしょうか。かくいう僕もそんな一人なのですが、そのおかげでこのブログもゆっくり書くことができて、まあこれはこれでいいかと無理やり思っている良いお天気の休日の午後。

さて、当初からずっと『ボサノヴァの歴史』に登場するお酒について書いてきたのですが、今回でとりあえずこのテーマは終了させようと思います。そこでやっぱり最後はボサノヴァ界きっての酒豪、ヴィニシウス・ヂ・モライス翁に登場していただきましょう。ではこんな部分から。

“ヴィニシウス・ヂ・モライスの言葉”
〜人間の最良の友は犬ではなくウィスキーだという彼の言葉は、たんなる戯言ではなかった。「ウィスキーは、瓶詰めされた犬なのだ」と、かれは真面目に言っていた〜

最初に『ボサノヴァの歴史』を読んだ時からこのくだりは強烈に印象に残っていて、当時けっこういろんな人に話した記憶があります。ようするにペットであるワンちゃんがその忠実さ、愛くるしさで人間を癒してくれるように、酒好きのヴィニシウスにとってはウィスキーが、その役割を果たしてくれるということを言いたかったのでしょう。その表現方法は詩人らしく、そのまま歌のタイトルにしてしまいたいほどのユニークさですね。
少し話は脱線しますが、ヴィニシウスは晩年自分の家の庭で、犬、猫、七面鳥、孔雀、などを飼っていたそうで、当時の共作者トッキーニョに「自分は今まで沢山のことを勉強してきたが、この動物達が教えてくれる事以上のものは無かった」と言っていたらしいです。そんな動物達と同等以上にウィスキーを愛していたヴィニシウスは、飲む量もハンパじゃなかったので、案の定、アル中になってしまったのですね。そんな様子が書かれているのが次のような部分。

〜トム自身時々驚かされることがあった。「でも大丈夫かいヴィニシウス?」
するとヴィニシウスはこう答えた。
「肉体は大丈夫のはずだ。肉体は、こいつを蒸留させ、アルコールをエネルギーに変える実験室なんだから。血液は、血管にアルコールがあるほうが流れがいいんだ」
彼がアルコール中毒の治療を受けにガーヴェア区のサォン・ヴィセンチ病院に入院していたという話は、まるで伝説のようだが本当だった〜

トムとはもちろんアントニオ・カルロス・ジョビンのこと。ジョビン自信も酒好きだったはずですが、ヴィニシウスのあまりの酒量に驚いて上記のような言葉をヴィニシウスに投げ掛けたところ、アル中ならではの勝手な論理の答えが返ってきた場面です。自分の親戚にもかつて酒で身体を壊して入院していた伯父さんがいて、似たようなことを言っていたような記憶があります。バーマンの僕的には適度のお酒は気分が良くなるし、会話も弾むのでぜひいろんなおいしいお酒を楽しく味わって欲しいと思いますが、やはり身体を壊すほど飲むのはいけませんね。それではいったいヴィニシウスはどれくらいのお酒を飲んでいたのでしょうか?その具体的な量が記されているのが以下の部分。

“ヴィニシウス・ヂ・モライスとバーデン・パウエルの酒量”
〜彼らが飲み干した酒の量については、ヴィニシウス本人が誇らしげに試算している。外交郵袋で持ちこまれたヘイグ・ウィスキーが二十ケース。合計二百四十本。つまり、一日あたり2.666本だった〜

5000281002538.jpg

出ましたね、またヘイグ・ウィスキーが(笑)これはヴィニシウス・ヂ・モライスとバーデン・パウエルが、ヴィニシウスのアパートに90日間こもって「ビリンバウ」「オサーニャの歌」「コンソラサォン」「プレリュードのサンバ」「宇宙飛行士」「ヴェローゾのサンバ」などを含む25曲を共作した時期の酒量の計算。恐ろしいですね。よくこれだけ飲んでちゃんと作品を生み出せたものです。しかもこれはウィスキーだけの計算で、最初の頃に飲んだジンなどは含んでいないのです。一日あたり約2.6本ということは、一人あたり一本以上を90日間ぶっ続けで飲んだわけです。そりゃアル中にもなるでしょう。ちなみに外交郵袋とは無税、無検閲で扱われる外交任務専用の荷物のことで、当時まだ外交官だったヴィニシウスはその特権を利用して当時高級品だったスコッチを大量に確保していたのですね。ヘイグはバーデンにとって自分の人生を通じてもっともうまい酒だったらしいですよ。『ボサノヴァの歴史』の中では冒頭の写真に“ヘイグ&ヘイグ風サラヴァー”という名前が付けられています(笑)

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2008年10月31日

blenゴウのDJ仕事

http://blenblenblen.jp/blog/2008/10/112dj.html
blenゴウさんが11月2日にclub BALLでDJします!
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2008年10月27日

バルキーニョでディ・ジョルジオ社製ギターの販売を始めました!

バルキーニョで、ブラジルのディ・ジョルジオ社製ギターの販売を始めました!
詳しくは下記でご確認下さい。もちろんお店で試奏できます!

http://barquinho.biz/article/21919692.html
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2008年10月23日

ブラジルに住めるか?

Bar Blen blen blen 宿口豪  http://www.blenblenblen.jp
皆さんに質問!
あなたはブラジルに住みたいと思いますか?

コレはよく店で話題になるテーマの1つなんですがね。
治安も心配だし、経済もここんとこリーマン・ショック(この響き、ホントいつも笑っちゃう)でまた落ちこんでますしね。
でも人の温かさは比べ物になりませんよね。みんな親切、人なつっこくておせっかい。日本人が失いつつある感覚がブラジルには普通にあります。

とあるお客さんの話。
その方は数年前仕事の都合でサンパウロに転勤になりました。奥さんと幼い子供を連れて。さぞかし不安だったでしょうね、地球の真裏の言葉も分からない国へ家族も連れていかなければならないのですから。
でも最初は訳のわからなかったその国の人々は、とても温かったのでした。ベビーカーを持って電車に乗れば我先にと手伝ってくれるし、道を尋ねれば、一生懸命教えてくれました。
サンパウロで2人目の子供も産まれ、上の子もレイシズムやいじめのない社会で伸び伸びと育ちましたが、とうとう帰国する日がやってきます。
数年ぶりに帰ってきた東京は安全だけど寂しい街でした。ベビーカーを持って電車に乗っても誰も手伝ってくれないどころか、まるで邪魔者扱いです。優先席に座っている若者たちは見向きもしません。子供も心なしか元気がなく、ブラジルに帰りたいと言い出しています。
そして9月の代々木公園でのブラジル・フェスティバル。家族で会場に着いたとき、もうもうと立ち込めるシュハスコの煙と肉・揚げ物の香り、ステージ上から聞こえてくるポルトガル語のアナウンスに、奥さんは思わず感極まって号泣してしまったそうです。


ちょっと考えさせられちゃいましたね。今の日本の社会は安全だけど、血が通っていない人々の群れに怖さを感じます。最早安全ではないのかもしれないし。
でも日本人って元来優しい人の代表みたいな存在ですよね。失くした財布が警察に届けられていた!とかってミラクルですよ。もっと誇りましょう、そういうとこ。
で、シャイなんすよね、僕達って。実は皆親切なんですよ。でも「席譲って断られたらどうしよう、恥は掻きたくないし」っていう思いが小さな親切に繋がらない。これは「出る杭は打つ」教育を施した国の責任では?
僕は草の根レベルですが、「1億総変なヤツ運動(仮)」を行っています。
ブラジルって変なヤツ多いんですよね。店員とかデカイ声で歌ってたりとか、会ったことないのに「よう、久しぶり!」とか。
危なくない(ココ案外重要)変なヤツが増えれば社会がユルくなるのでは、と思うのです。そんな変なヤツに比べれば、席を譲ることのハードルなんてめちゃくちゃ低くなるでしょ?全然恥ずかしくないってば。
僕はとりあえずピーピー口笛吹きながら歩いたり、独り言喋ったり、松屋とかで店員見えないのにデカイ声で「ごちそうさま!」とか言ってます。
これで日本ブラジル化計画が進行するか!?しないか。


話が大分逸れてしまった。そう、ブラジルに住みたいか、否か。
さて、僕はというと・・・
勿論ブラジルに住めるものならいつでも住みたい!アカラジェとか焼きチーズ食いまくって、アグア・ヂ・ココが日々飲める生活サイコー!なんて思うわけですよ。

でも初めてブラジルへ行ったときのこと。
バスでレシーフェからサンパウロに向けて日々ヨタヨタ移動してたんですけど、もう毎日ブラジル飯食い倒していたんですね。最初の3日間は顎が筋肉痛になりましたよ、肉硬いから。でも美味いんだな、コレが。噛めば噛むほど味がでるというか。
フェジョンと肉を毎日食い漁り、自分の体臭がエキゾチックな香りになり始めたのが日本を出発してから3週間後くらいかな、とうとうある日和食が食いたくて食いたくてしょうがなくなったのです。美味い味噌汁と焼き魚!甘くない麦茶!ふっくらした白米!
ブラジルに来てまで食すまい!と心に誓っていた和食をとうとう食べに行くことになりました。リオの和食レストラン『都』(そのすぐ近くにあった和食&メキシコ料理『水』って店もやたら気にはなったのだが)。
コカコーラの1.5ℓペットをガブ飲みしながら舟盛りの寿司を食いまくってるブラジル人カップルを横目に、タラの西京焼きや煮物を口に含んではウットリしてしまいましたよ。日本酒もすすむ、すすむ!(その後ラパにある巨大ライブハウス、フンヂサォン・プログレッソの非常階段で3時間寝てしまうことになるのだが)。高かったしお世辞にもスゲー美味いとは言えないけど、今まで食べた和食の中では3本指に入る感動があった。と同時に、やっぱり僕は和食がなきゃ生きていけない!と思ったのでした。

だ・か・ら、

1〜3月 ブラジル 
4月〜12月 日本

コレが僕の理想の生活だな。
Festival de veraoとイエマンジャの祭り、そしてカルナヴァウをバイーアで過ごし、バスで各地を探訪。その後春の訪れが待つ日本
へ帰り、花見。初夏の清々しさを堪能したら、梅雨を避けるべくまたブラジルへ。途中NYにも寄らなくちゃ。そして蚊取り線香の香り漂う日本へ再度帰国、夏が去ると僕が最も好きな秋がとうとうやってくる。秋刀魚の刺身!焼き銀杏!松茸!紅葉を堪能したらもう12月、魚と酒が美味いゾッ!大晦日と正月は僕はしっぽり家族で過ごす派です。そしてまたブラジル行きのパッキング・・・


うーんダメだ、不可能だな、これは。

虚しくなるのでとっとと仕事でもすることにします。
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2008年10月19日

barquinhoライブ告知

barquinhoでのライブ、ドンドン決まっています!
http://barquinho.biz/article/21302960.html
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2008年10月17日

ヘナート・モタ&パトリシア・ロバート 「ジョアンに花束を」

NRTさんからサンプル盤が届きました。誠実で美しい音楽です。
http://www.nrt.jp/renato_motha_patricia_lobato/release_information_14.html
あの、別に渋谷B+2にサンプル盤を送ってと催促しているわけではないのですが、音楽にこだわっている雑貨店やバーやカフェ、美容室なんかにCDRでいいので、サンプル盤を送るのはとても効果があると思います。
レコード会社のみなさま、グレー・ゾーンの音楽ライターさんや、絶対に開封さえもしない大手CD店なんかに送る分があれば、是非小さい店舗に狙いを定めて送るのをオススメいたします。
posted by ベーマイストレス at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ

2008年10月15日

マリア・ヒタのチケットあまってます

11月10日の中野サンプラザでのマリア・ヒタのライブのチケットが2枚あまっています。

S席1階14列40番と41番です。金額は¥7000×2=¥14000です。
結構良い席のようです。http://tamu.biz/kaijo/nakanosun/
もしご希望の方がいらっしゃれば、bar bossaの林にメール下さい。info@barbossa.com

チケットの嫁ぎ先、決まりました。
ありがとうございました。
posted by ベーマイストレス at 12:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ

2008年10月09日

ジョアンとイエガーマイスターとイパネマの娘、あるいは山手線の恋

山手線.jpg
bar bossa  林 伸次 http://www.barbossa.com/
 

あの、俺、最近すげえ好きになっちゃった女の子がいてさ。いや、まだ名前も知らないし、だいたい話しかけたこともないんだよね。俺、毎朝渋谷から朝7:58の山手線に乗るじゃん。その7:58の電車の前から二両目の一番前のドアからその娘はいつも降りてくるんだよね。俺はその電車で原宿まで行かなきゃいけないじゃん。その彼女とすれ違う瞬間、うん正味3秒間くらいかな、その時間が俺の毎朝の幸せな時間なわけ。うん、その彼女がもうマジで可愛いんだよね。うーん、加藤愛をちょっと優しそうにした感じってとこかな。わかんない?こうさ、ほんわかしてんだけどさ、キリっとした美人系っていうかさ。もうモロ俺の好みなんだよね。

 で、毎日その娘はその7:58の電車のそのドアから出てくるんだけどさ、1ヶ月に1回か2回くらいかな、出てこないことがあるんだよね。もちろん彼女は一本遅れたのか、たまたま休みなのかなって感じなんだろうとは思うんだけどさ。俺、そんな彼女に会えなかった日はもうホント落ち込んじゃってさ。もしかしてあの娘、仕事を変えちゃったのかなとか、引っ越して違う電車を使い始めたのかななんて考え始めちゃうわけ。だってさ、彼女がその7:58の電車に乗るのをやめたら、俺これから一生彼女に会えなくなるわけじゃん。ああ、だったら俺おもいきって彼女に話しかけておくべきだったんだよな、って落ち込むわけ。で、よし、もし明日彼女に会えたら俺はおもいきって声をかけるぞ、なんて心に誓ったりするんだけどさ、やっぱりありえないよね。朝の山手線のホームでさあ、突然知らない男から「あの毎日見てて好きなんです」なんて言われたらさ、そりゃ引くでしょ。もうどう考えても俺ストーカーじゃん。絶対に彼女、次の日から違う電車に変えると思うよ。でしょ普通は。そんな苦しい恋を俺は最近してるわけ。

 で、ここからが話しのメインなんだけどさ、ちゃんと聞いててよね。今日の朝、俺初めて彼女が笑っているのを見たわけ。ストップ!ちょっとここで誤解を解いておきたいんだけどさ、彼女がめったに笑ったりしない冷たいタイプの女だって言ってるわけじゃないんだよね。ほら想像してみてよ。朝、かなり混んでいる山手線に一人で出勤前に乗っててさ、そんなニヤニヤ笑ったりしているわけないじゃん。まあ表情を殺してなんか暗い顔をしているのが普通だよね。だからさ、俺にとって彼女の表情のファイル集は全部こう暗い感じのイメージなわけ。もちろん彼女も生身の人間だから笑うはずだとはわかっているんだけどさ、俺の中で笑う彼女ってのは想定外だったわけ。それがさ、今日の朝はさ、なんかケータイの画面を見ながら出てきてさ、なんだかすごく楽しそうに笑っていたわけ。あのさ、彼女が笑うとさ、ホント可愛くてさ、こうその朝の殺伐とした山手線のホームがさ、パーっと彼女の笑顔を中心に光り輝いちゃうわけ。なんかさ、彼女の笑顔のせいでこの今の渋谷がさ、日本がさ、いや世界中がさ、こう幸せな感じに満たされるわけ。わかる?うんなんかさ、その娘の笑顔の力ってホントすごいんだよ。

 でもさ、俺、気付いちゃったわけ。なんで彼女は笑っていたんだろうって。彼女を笑わせたのは誰なんだろうって。でさ、これから先さ、いつまでたっても彼女を笑わせるのは俺じゃないわけじゃん。いつまでたっても俺はこう彼女が通り過ぎていくのをただボンヤリ眺めているだけでさ、絶対に彼女は俺のことなんて気付かないんだよね。そしたらさ、俺、なんでこんな広い世界でひとりぼっちなんだろうって思っちゃってさ。彼女とは俺、絶対に上手くいかないんだよね、つらいよね。

 で、たまらなく今日はせつなくなっちゃってさ、いつもよく行っている渋谷のバール・ボッサってバーに行ってこの話しをマスターにしてみたんだよね。そしたらさ、そのマスター、林っていうスカシタやつなんだけどさ、「そんな気持ちをそのまま歌にした人達がいますよ」なんて言うんだよね。で俺「誰なんだよ、それ。俺のこの気持ちが歌になんてなってんのかよ」って疑って聞いてみたわけ。するとマスターがさ「もう50年近くも前のブラジルなんですけど、ヴィニシウスっていう詩人とジョビンっていう作曲家がイパネマの娘っていう歌をつくったんです。その曲がもうそのまんまお客様のその上手くいかない恋のことを歌っていますよ」なんて言いやがるんだ。「じゃあその曲のことはわかったから、なんか俺の今の気持ちにぴったりな酒を最後にくれよ」って言って出てきたのがイエガーマイスターって酒でさ。これがストレートで出てきたんだけど度数が強くて薬草の味が苦くて、でも甘くて、のどもとを通る時ちょっとあったかいんだよね。あ、これ今の俺の気持ちにぴったりだなって思っちゃってさ。で、そのマスターが「ゲッツ/ジルベルトっていうアルバムの一曲目にその曲が入っていますよ」なんていうからさ、俺も騙されたと思って帰りにレコファンでそのCDを買って帰ったわけ。

 うち帰ってそのCD聞いてさ、初めはおもいっきり笑っちゃったよね。だってさ俺の恋の気持ちと同じ歌なんていうからさ、俺もっと感動的なこうガツーンとくる曲なんだと想像してたんだよね。そしたらさ、なんか男がボソボソ、モゴモゴ歌い始めるじゃん。ええー、これはナシだろって思ったんだけどさ、それでCD捨てるのももったいないじゃん。だから何度か聞いてみたらさ、こう、このジョアンってやつの歌心っていうの?それにこうやられちゃってさ。このジョアンってやつ、マジなんだよね。もうさ歌に自分の人生かけてる感じなわけ。こいつは軽い気持ちでこの恋の歌を歌ってんじゃないなって俺、直感的にわかっちゃったね。これは本物だよ。たぶんさ、このジョアンってやつも一人ぼっちになったことがあるんだと思うよ。でまあ俺、やっとその朝7:58の恋からちょっと自由になれてさ。ああ、昔から世界中で俺みたいなダメな男がいっぱいいたんだなってわかっちゃったからさ。なんとかやっていけそうなんだよね。なんか音楽の力ってすごいんだなあ、なんて感じちゃったわけよ。

※ジョアンとジョビンのイパネマの娘を聴いて下さい。
http://jp.youtube.com/watch?v=DmV0TcTNJ3o&translated=1
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2008年10月07日

Special DJ night "Bem Aqui!"

10月12日(日)に青山プラッサ11でDJイベントがあります。blenゴウさんも参加します。

http://www.praca11.net/main.html
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mika samba jazz trio 2008

NY在住のピアニストMikaがセルジオ・バホーゾとハファエル・バラータを引き連れて、日本をベッコ・ダス・ガハーファスにします。
http://sambajazz2008.tumblr.com/
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barquinhoのライブ告知

mocidade vagabundaのカマシさん(B+2とは焼き肉仲間)と
mestre sueさんの男気ライブです。多摩川のシュハスコの後に
殴り込みに行こう!!
http://barquinho.biz/article/20000850.html
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bar bossaコラム更新

bar bossaの林が音楽とかについて語っています
http://barbossa.com/record/column/47.html
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秋のシュハスコem多摩川〜

ブレン主催の多摩川でのブラジリアン・バーベキュー・パーティです
東野、林も参加します。現地でお会いしましょう!!
http://blenblenblen.jp/blog/2008/10/_em.html
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青山でボサノヴァ

青山で色んな無料ライブが楽しめます
http://bossa2008.jp/
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2008年10月02日

『ボサノヴァの歴史』に登場するお酒について(その2)

barquinho ヒガシノリュウイチロウ http://barquinho.biz/

つい1週間くらい前までエアコンを冷房モードで動かしていたのに、ここ何日かは、秋を飛び越して初冬?っていうくらいの肌寒さですね。この寒さで風邪をひいて臨時休業!なんてことの無いようにきっちり体調管理してお客様をお迎えしたいと思う今日この頃です。

さて、それでは今月も『ボサノヴァの歴史』に登場するお酒について書いていきましょう。最初はバルキーニョの店名の由来になった「小舟:o barquinho」の作曲者ホベルト・メネスカルの以下のようなエピソードから。

“ホベルト・メネスカルの小遣い捻出方法”

〜彼は学生証の年齢欄を偽造し、大人たちの巣、フェルナンド・メンデス街の「スコッチ・バー」に潜り込んでいた。彼のアイドル、新人のチト・マヂーが「外では雨が降っている:chove la fora」を歌うのを聴くために。同じ頃、父親の酒蔵からホワイト・ホース・ウィスキーの瓶をくすねて、夜中にナイトクラブ「トゥード・アズル」へ売りに行くという、危ない習慣も身につけていた。運が良ければ、トム・ジョビンなる男が弾く「ある夜:foi a noite」を聴けたのだ。〜

ボサノヴァを作った若者たちの多くがリオの南部地区(ゾナ・スール)の大富豪の息子・娘たちだったわけですが、メネスカルも例外ではなく、1956年の18歳当時、両親がコパカバーナに建てたガレリア・メネスカル・ビルディングに住んでいたわけです。ギターを始めて間も無い青春まっただなかのメネスカルが、ボサノヴァ前夜のチト・マヂーやジョビンの演奏を聴くために親のウィスキーをくすねていたなんて、富豪の息子ならではの小遣い捻出方法ですね。きっとウィスキーが1本や2本無くなっても分からないくらい、高価なお酒が沢山貯蔵されていた酒蔵だったのでしょう。ホワイト・ホース・ウィスキーは今でも飲み続けられているブレンデッド・スコッチ・ウィスキーの銘酒。おそらく当時のブラジルでは大変高価なお酒だったのだと思いますが、今ではリーズナブルで気軽に飲めるスコッチ銘柄のひとつです。価格はリーズナブルでも、シングル・モルトで有名なラガヴーリン、グレンエルギン、クレイゲラヒなど由緒正しい原酒がブレンドされている妥協の無い味で、ストレートでも水割り、ハイボールにしてもおいしいウィスキーです。

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さらに『ボサノヴァの歴史』の中にはまた別のスコッチ・ウィスキーが出てきます。たとえば以下のような一節。

〜シコは、パネール航空で機長をしている友人が、ニューヨークからモダン・ジャズ・クアルテットの最新アルバムとともに持ち帰ってくれたグランツの瓶を二本ふるまった。氷とグラスと、言わずもがなのグルンディグ録音機を準備した。彼はミダニに、知り合いの少年たちを何人か紹介しようとしていた。シコが入れ込んでいたこの若者たちとは、ホナルド・ボスコリ、ホベルト・メネスカル、ナラ・レオン、カルリーニョス・リラに、14歳のエウミール・デオダート。少年たちは演奏し、ミダニはそれを聴き、シコはすべてを録音しようというのだった。〜

シコとは、ジョアン・ジルベルトのファーストや、多くのエレンコ・レーベルの作品を手がけた当時の売れっ子カメラマン、シコ・ペレイラのこと。彼はボサノヴァの歴史において、写真家として重要な仕事をしたのに加え、趣味で多くの重要なボサノヴァ・コンサートや、ボサノヴァの仲間内の集まりでの演奏を録音していたことでも有名。近年、これらの録音がインターネットに出回り、多くのボサノヴァ・マニアは本当にそんな音源が存在していたことに驚愕しました。また、ミダニとは、当時のオデオンで全てのアルバム・ジャケットを監督していた広告責任者、アンドレ・ミダニのこと。この場面はシコがミダニに革新的な音楽を作り出そうとしていた若者たちを紹介しているところなのですが、当時ミダニは若者たちのあまりのボンボンぶりに良い印象を持たなかったそう。その理由のひとつとして、貴重品のスコッチ・ウィスキー、グランツに敬意を表していたのは年長のボスコリだけで、他はみな酒を飲めないお子様だったから。こんないいとこのボンボンたちに、新たななにかを作り出せるわけはないとミダニは思ったらしいのですが、1時間後、彼らの演奏を聴いた後にはすっかり度肝を抜かれ、彼ら全員にそこらにあった紙切れにオデオンとの仮契約のサインをさせたとのこと。若者たちによる新しい音楽“ボサノヴァ”がメジャー・レーベルの重要人物に認められた瞬間です。

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さて、ここに出てくる貴重品のグランツもブレンデッド・スコッチ・ウィスキーの銘酒。当時貴重品だったグランツも、現在の日本では手頃な価格で味わうことが出来ます。シコ・ペレイラやアンドレ・ミダニ、そして「小舟:o barquinho」の作詞者、ホナルド・ボスコリが、ボサノヴァが世に出ようとするその瞬間に敬意を払って飲んだグランツを、バルキーニョでオリジナル・ボサノヴァを聴きながら味わうのはいかがでしょう。

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2008年09月22日

ブラジルはヒップホップ(勝手に)!

Bar Blen blen beln 宿口 豪 http://www.blenblenblen.jp

あっという間に1ヶ月経ってしまった!
怒涛のブラジル週間、皆さんは楽しめましたか?8月のモレーノ・ヴェローゾから始まり、オロドゥン、ジョルジ・ベンジョール(“ベン”じゃないぜ“ベンジョール”だぜ!)パト・フ、TP4、ジルベルト・ジル、どれも素晴らし過ぎ!毎晩飲み過ぎてマー・ライオンにナッチャウヨー!
諸々の都合で行けなかった方もたくさんいらっしゃるでしょうが、鳥竹に飾られている車だん吉のサイン色紙風に言うならば、“ブラジル週間を楽しめた者は幸せである、楽しめなかった者は残念ながら残念である”。燃え尽きることの出来た僕はとてもラッキーでした!

さて、そんなブラジル週間のフィナーレを飾ったジルベルト・ジルのショウの冒頭、宮沢和史さんがとあるエピソードを披露しました。曰く、宮沢さんがブラジルで初めてジルと話す機会を得たときのこと、自分がトロピカリア期の音楽に凄く影響を受けた旨を興奮して伝えると、ジルは諭すように“トロピカリアとは音楽ジャンルではなくてアティテュードなんだ、トロピカリアの姿勢を忘れるな”とおっしゃったそうです。
いい話だなー!なんてしみじみした気持ちになりましたが、待てよ、このセリフどこかで聞いた覚えが。

そうそう、今から遡ること10数年、ヒップホップの完全な影響下で出会った本「サイエンス・オブ・ラップ」(KRS-One著 ブルース・インターアクションズ)に出てきたフレーズでしたよ。“ヒップホップ”とは特定の音楽ジャンルを指すものではなくカルチャーなのだ、と生き証人自らがヒップホップを解説する全てのB-Boy必読の名著(ツッコミ所満載)。Hip-Hop Beats(S.HフェルナンドJr.著 ブルース・インターアクションズ)共々ヒップホップの歴史・本質を知るためにはもってこいの書籍です。
まあヒップホップとトロピカリアに限らず“ジャズ”あるいは“パンク”、“ロック・ン・ロール”、“モッド”等々は時代・美学・ファッションの違いはあれど、既存の“ヌルい”事象へのカウンター・カルチャーであるという点において、本質は限りなく近いですよね。
以前僕が働いていたアプレミディのオープン直前、店長の中村智昭くんの家で今や名物となったカレーの試食会をした時のこと。橋本徹さん、ワック・ワック・リズム・バンドの山下洋さん、トップギアの堀井ヤスさん、鈴木信太郎くん、とモッズに囲まれてくだらないネタで談笑していた折、僕が「館ひろしのレコードにトム・スコットが参加してるヤツがあるんスよね〜」なんて言ったら、ヤスさんが「ゴウくんはB-Boyじゃなくてモッズだね。」と真顔でポツリとつぶやいた事を思い出します。
閑話休題。僕が多感な青春時代にヤられたカルチャーはたまたまヒップホップだったワケで、僕にとって“ヒップホップであること”は何事にも優先される美学であり価値基準なのです。
たとえば、他人がダサいと思ってることでも自分がカッコイイ!と思えば臆せずトコトン追及することや、常識にとらわれない発想・クリエイティビティ、時に度が過ぎるほどのエンターテイメント精神、拝金主義やドラッグを否定するシーンの健全性etc。
アフリカン・アメリカンのファッションをいくらマネしても、そういった美学を持ち合わせていなければ単なるコスプレに過ぎないのだー!

思えば、その後僕がブラジルに強烈に魅かれてしまった理由は、ブラジル自体にヒップホップを感じたからなんだな(伝わるかなぁ、この感じ)。僕にとって“ブラジルな感じ”と“ヒップホップ”はとても近い感覚のような気がするのです。
無邪気で親切、時にトゥー・マッチな人々。人種は交ざれば交ざるほど美しくなるという事実をもって、人種間闘争の無意味さを証明してみせた偉大な人々の集合体!既存のルールを躊躇なくヒョイッと飛び越えていっちゃう大胆さ。まさしく“私の考えるヒップホップ”ダッ!

そんな僕にとってのヒップホップ感覚が転じた“ブラジルな感じ”を自分の店で追求してます。
ブラジル国旗が飾ってあって、カイピリーニャがあって、コッシーニャがあって、お客さんに“オブリガード”とか言って、サンバが流れてれば楽しいブラジルのバーになるでしょう。でも僕にとって一番大事な“ブラジルな感じ”は目に見えない空気感にあるのです。
ブラジル人が集まるブラジルっぽい店も楽しいと思うけど、ただ酒が好きな人、音楽が大好きな人、騒ぐのが好きな人、家に帰りたくない人、1人になりたい人etc色々な人種が立ち寄ってバカな話をしたり、笑いあったり時には論争したりして、なんとなく楽しい“ブラジルな感じ”になるのが理想です。生ハムとかオリーブとかメニューにある小奇麗なスタンディング・バーより、18:00で満席になる焼き鳥屋の方が真の意味で“バル”って感じがするでしょ?
大切なことは目に見えないのだー!bv 星の王子様。

この夏から新メニューに加えたマテ・ハイは、そんな僕の店を象徴するかのような飲み物です。もはや日本の国民的大衆酒とも言うべきウーロン・ハイよろしく、焼酎をマテ茶で割ってマテ・ハイです。バカっぽいでしょ?おかげさまで大好評で〜す、皆さん飲みに来てくださいネ〜!
posted by ベーマイストレス at 15:39| Comment(2) | TrackBack(0) | ブログ