2009年07月07日

Barquinho1周年のお知らせ

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今日は七夕。いよいよ本格的な夏が訪れましたね。

さて、7月11日(土)にbarquinhoは1周年を迎えます。
はじめてのお店で不安の中、1年前にオープンいたしましたが日頃応援いただいているみなさまのおかげで、なんとか一周年を迎えることができました。ありがとうございました。

そこで、今週末の7月11日(日)はささやかながら1周年パーティーを催させていただきます。

この日はノーチャージでライヴを楽しんでいただけますのでぜひどうぞご来店くださいませ。

《7月11日(土)オープン1周年イベント》

○スペシャル・ライヴ

サブリナ&サンチェス / アルトゥール・ヴィタウ

open 20:00 / start 21:00
ノーチャージ 要オーダー

サブリナはbarquinhoでもこれまで2回ライヴをしてもらっていますが、東野が超プッシュしているブラジル人女性シンガーです。
エリス・レジーナやタニア・マリアが好きな方なら必ず驚く素晴らしい歌声をお楽しみください。

また、アルトゥールもいつもサブリナといっしょに出演してもらっていますが、独特の渋いサンバ・ソウルを演奏します。まだ若いのに沢山オリジナルを持っていますので、こちらもご期待くださいね。

また、それ以外にも飛び入りライヴもある予定です。東野も何曲か歌わせてもらおうと思っていますので、遅い時間からでもぜひお越しください。(通常通り朝4:30まで営業いたします)

それでは今週末baquinhoでお待ちしております!

バルキーニョ 東野
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2009年07月01日

美しきボサノヴァのミューズ

barquinho ヒガシノリュウイチロウ http://barquinho.biz/

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 前回「いかにしてボサノヴァ/ブラジル音楽にたどりついたか」ということで、そのきっかけとなったジョアン・ジルベルトのことを書きましたが、今回はボサノヴァ演奏を始めた頃にジョアンと同じくらい繰り返し聴いたナラ・レオンについて書いてみます。

 ボサノヴァ・ファンの間でナラ・レオンのイメージってどういうものでしょうか。「ボサノヴァのミューズで、大金持ちのお嬢さんで、そのお家の広々としたサロンでボサノヴァのセッションが開かれていた」という知識を持っている人は少なからずいるとは思いますが、実際にはあまりボサノヴァ・ファンの話題に上らない印象があります。「ジョアン最高!」「ジョビンは天才だ!」という声は頻繁に聞かれるのにナラ・レオンのことをじっくり語る人は極端に少ない気がするのです。今、手元に、昨年出された『Bossa Nova Guidebook 50-08』という冊子があります。ここでは35人の様々な分野で音楽にかかわっている方々がボサノヴァのおすすめアルバムを3枚ずつ選んでいますが、その中でナラ・レオンをあげているのはたった4人でした。(そのうち3人はbar bossaの林さん、カフェディモンシュの堀内さん、そして僕という超身内。)ちなみにジョアン・ジルベルトは25人、アントニオ・カルロス・ジョビンは9人。普段ブラジル音楽をかなりディープに聴いている人達の割合でこうですから、一般的にはさらにパーセンテージが低そうですね。

 確かにナラの歌声はアストラッド・ジルベルトやワンダ・サーのようにわかりやすい魅力に富んでいるわけではないし、ボサノヴァだけを歌ったアルバムも少ないです。さらに病気で早世してしまった(今年は没後20周年です)ことも、近年頻繁に来日しているジョアン・ジルベルト等とくらべて、語られる機会を少なくしている要因でしょうか。

 実際僕もナラの歌声が全てのジャンルの音楽ファンの心を鷲掴みにする魅力を持っていると思わないし(エリス・レジーナには確実にそれがある)、ボサノヴァ全盛時代に、なんでサンバやプロテスト・ソングなんて歌っていたのだろうというもどかしさもあります。しかし、やはりそれでもナラは最もボサノヴァの核心に近かった人だったと思うし、存在そのものがボサノヴァだったと思うのです。ナラはボサノヴァが本来持っていたラジカルな姿勢をくずさなかったゆえにボサノヴァから離れてしまったのですが、このあたりもナラのわかりにくさかもしれませんね。

 さて、ではナラの作品はどれから聴けば良いのでしょう。最初に書いたように僕はジョアン・ジルベルトを聴いた後に、ナラをよく聴いていたのですが作品的には『美しきボサノヴァのミューズ』と『イパネマの娘』という2枚のアルバムを繰り返し聴いていました。でも別にこれらを意識的に選んで聴いていたという訳ではなく、当時容易に手に入るアルバムの中でこの2枚が、ボサノヴァ・スタンダードを多く収録していて、曲を覚えるのに都合が良かったからという単純な理由からです。その後ナラのアルバムがいろいろ再発されてきましたが、それらを聴いた上でも、いまだにこの2枚を聴くことが多いし、初心者にすすめるならこの2枚が最高と思います。

 ボサノヴァ・スタンダードを多く含むこの2枚のアルバムですが、聴いてみるとその印象の違いに驚くと思います。まだ、60年代の喧騒がからだに残っていて、そこから完全に抜け切れていない71年パリ録音の『美しきボサノヴァのミューズ』が“陰”だとしたら、さらに年を重ね、「やはり自分はボサノヴァそのものなのだ」ということを再認識したかのようにボサノヴァの名曲を楽しげに歌う85年日本録音の『イパネマの娘』は“陽”と言えるでしょう。この“陰陽”2枚のアルバムを聴けば、主要なボサノヴァ・スタンダードを網羅することができるし、ナラ・レオンへの理解も深まると思うのです。両方に収められた「ワン・ノート・サンバ」「コルコヴァード」「イパネマの娘」「想いあふれて」「あなたと私」「デザフィナード」「メディテーション」を聴きくらべてみるのも楽しいかもしれません。(『イパネマの娘』は現在国内盤廃盤のようですが、ぜひ探してみてください)

 余談ですがつい最近(2009.6.17)『美しきボサノヴァのミューズ』がディモンシュの堀内さんの監修(言わずと知れたナラマニア)で、SHM-CD & 紙ジャケで再発されました。僕はこのCDを含めて3種類の『美しきボサノヴァのミューズ』を持っています。最初に買ったのはオリジナル全24曲から12曲を抜粋しナラの別のアルバム『五月の風』のジャケットイラストを流用したヴァージョンでした。所有してはいませんが、このヴァージョンと『エリス&トム』を2in1にしたCDもあったように思います。その後1998年にオリジナル2枚組の全曲を収めたCDが発売されたので嬉々としてそちらも購入し、ことあるごとにおすすめ文を書いていました。(『Bossa Nova Guidebook 50-08』にもこのアルバムをセレクトしました)そして最近紙ジャケの新しいヴァージョンを入手し聴いてみてびっくり! なんと、98年ヴァージョンと曲順が違うではありませんか。どうも98年のヴァージョンは2枚組の2枚目から始まっているようなのですね。これではアルバムの印象がかなり違う。もともとモノクロームな印象の静かなアルバムですが、超暗い「ポル・トーダ・ミーニャ・ヴィーダ」から始まることによってよりダークな印象になっていたと思います。僕はオリジナルLPを持っていないので98年のヴァージョンをオリジナルと思って聴いていたのですが、実は今回初めて「インセンサテス」から始まる“本当の”オリジナル・ヴァージョンを聴いたのですね。確かに「ヂマイス」で終わるこちらの方が、ストーリー性がナチュラルな気がします。

 また、解説も堀内さんが入魂の書き下ろしをされていますが、ここで重要な情報がひとつありました。今までギタリスト/シンガーのトゥッカがレコーディングに参加しているためギターはトウッカによるものと思われていましたが、どうもトウッカはキーボードを中心に弾いており、主要なギターはナラが弾いているということ。僕は昔からナラのギターが好きでこれぞボサノヴァ的バチーダ(右手の弾き方)だと思っていたので、今回この解説を読んでやはりそうだったのかと、合点がいきました。早めの曲では、ジョアン・ジルベルトが決してすることはないドゥルヴァル・フェヘイラ風バチーダがとても歯切れ良いし、スローな曲でもリズムの崩れることが無い安定した演奏を聴かせます。ジョアン・ジルベルトのバチーダは孤高で、コピーすることが困難ですが、ナラやカルロス・リラのバチーダは一般的ボサノヴァ・バチーダなので、誰もが習得しやすいものだと思います。ギター1本あればDIY的に演奏することができるのがボサノヴァの良さだとしたら、ナラのバチーダこそボサノヴァ的なのではないでしょうか。さあ、ギタリストのみなさんもナラのバチーダに注目してみてください。

※7月11日(土)Barquinhoはオープン1周年を迎えます。この日は20時オープンで、21時よりサブリナ&サンチェスとアルトゥール・ヴィタウのライヴを予定しています。(ノーチャージ!!)その他にも飛び入りライヴも考えていますので、ぜひ11日(土)はBarquinhoへ!!
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2009年06月28日

Barraventoとmv nota 1000を「サマソニ」に出そう!

「SUMMER SONIC 09」にBanda BARRAVENTO(バンダ・バハヴェント)と mocidade vagabunda bateria nota 1000(モシダーヂ・ヴァガブンダ・バテリア・ノタ・ミウ)を出そう!という運動があります。みんなで応援しよう!

詳しくはこちらで
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MUSIC SPIRAL vol.1 "Brasil 海と音楽"

海の日にすごいイヴェントがあります!

SPIRAL RECORDS + NRT presents
MUSIC SPIRAL vol.1 "Brasil 海と音楽"
期間 : 7.20
会場 : EATS and MEETS Cay/B1F

詳しくはこちらで
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2009年06月20日

山と温泉のススメ、そして海もいいネ

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Bar Blen blen blen 宿口 豪 http://www.blenblenblen.jp

いよいよ梅雨ですね。

先月は水難の相がでていたのか、水に関するイヤなことが続いたので梅雨を迎えるのが憂鬱だったのですが、今月はどうやら大丈夫そうでホッとしています。

代わりに今月はおバカさんの相が出ているみたいです。毎日オモロい人が来てくれて楽しい!

ということで、ちょっと控えていた温泉にも相変わらず週イチで通ってますよ〜(本当はココに毎週行きたいんだけど)。

そう、「調布深大寺温泉ゆかり」でございます。

いや〜ココがホントにサイコーなんですよ。

純和風の温泉施設なのですが、その佇まいと温泉力に毎度癒されちゃうのです。

木々の生い茂る傾斜のふもとに造られた露天風呂に差し込む木漏れ日と新緑の香り!

蒸し風呂から飛び出て、涼みながらボケーっと眺める水車に完全脱力ですワ。
内風呂は重厚な檜造り。無駄に「ハァァーッ」なんてため息ついちゃいます。
日本人に生まれてよかったワー。

風呂から上がったらビールだよ!

なんと日本、いや世界最高峰ビール、エビスのドラフトを出しているのです、サイコー!(ブレンも勿論エビスだぜ)
お食事処では旬の素材を使った酒のツマミも充実。至れり尽くせりでございます。

勿論、風情漂う深大寺参道まで足を伸ばして、そばを手繰るなんてのもアリですゼ。

数あるそば屋の中から僕がオススメするのは、そばの味を楽しむのだったら「湧水」、風情を楽しむのだったら「雀のお宿」(以前アプレミディの橋本さんや元同僚達と渋谷で夜飲み始め、最後翌午後1時にこの店に辿り着き痛飲したことが。。。)「松葉茶屋」「玉乃屋」です。
よかったら行ってみてね!

近隣には神代植物公園やホタルも見れる野草園などホントに緑がいっぱい。
日々の渋谷でのどんちゃん騒ぎと週一回の自然と静寂。このバランスをキープしたいな〜、なんて。

僕の自宅からはチャリで15分。都心からも近いので、皆様も行ってみてはいかがでしょうか!



さて、たまにウチのお客さん同士で「海と山、どっちが好き?」なんて話題になります。皆さんもそういうハナシしたことあるでしょ?

さあ、あなたはどっち?

僕はというと、“決められねーよ、バカヤロー!”と言いたいところですが、やっぱり山かな。

勿論海もサイコーなワケだが、昔から山が好きなんですよ。

渓流とか大好き。渓流沿いの露天風呂とか超大好き。そこにしんしんと雪が降ったりなんかしたら、もう堪らない!
滝も好き。タッキーです、僕。

とかいいつつ、山に5日間、海に2日間くらいが理想かな?
強いて言うなら東京に4日間、山に2日間、海に1日。ラン、ララン、ラランで〜一週間♪
うん、コレだ。

バイーアもリオも最高だけど、ミナスやサンパウロや他のところにもたまには行きたいってコトよ。


でもブラジル好きな日本人はやっぱり海派が圧倒的に多い気がするな。
しかも太平洋でしょ。サーフィンとかナンパとか、海岸で夜中に花火の迷惑若者に突撃リポートとか、リリース・ユアセルフとかでしょ。

僕にとっての海は日本海ですね。祖父母の新潟・上越の家に毎年行っていたので海はほとんど日本海でした。

潮の満ち引きがないんですよ、知ってた?

魚が美味くてね。
のどぐろとか食ったことある?
こちの刺身も美味いんだよな〜。

新潟は米が美味いから勿論酒も美味いワケで。
魚と酒のマリアージュ、うーん、雪国サイコー!

日本人に生まれてよかったワー。

そしてサウダーヂ。。。


と、なんの話をしてるのかよく分からなくなってきたところで、海好きに朗報!

今年もブラジルの海の家、我らがPILEQUINHOが逗子海岸にオープン!ヤッタゼ!

面白いイベントが目白押しだよ。

今年もピレキーニョに行かなければ夏は終わらせられませんな。
JUNさん、楽しみにしてますよ〜!
今年も飲みます!

以上、オチ無し!
posted by ベーマイストレス at 17:35| Comment(2) | ブログ

2009年06月09日

ダブルレインボウ

bar bossa 林 伸次 http://barbossa.com

 なっちゃんが「起きて!起きて!」と大騒ぎしているので目が覚めた。

 なっちゃんは私が飼っている犬の名前だ。オスで5才。犬種はパピヨンだ。

 パピヨンはマリー・アントワネットが飼っていて、彼女と一緒にギロチンで殺された犬として有名だ。その逸話でもわかるようにこのパピヨンという犬種はヨーロッパの宮廷でただ可愛がられるためだけに作られた。

 パピヨンは小さくて毛もフワフワしていてとても愛らしいのだが本人(本犬?)は自分はとても大きくて獰猛な犬種だと勘違いしているらしい。そしてなっちゃんも実際そういう面が多々ある。

 なっちゃんが「早く!早く! 誰かに先を越されちゃうよ」とうるさい。何だろうと思って窓を開けると虹が二重にかかっている。ダブル・レインボウだ。

 そうか、なっちゃんはあの話しのことを言っているんだ、と私は気付いた。ダブル・レインボウが見えたとき、その虹の始まるところに一番最初に到着した人は願い事がかなうという話しは有名だからみなさんもご存じだろう。

 やれやれ、なっちゃんはまだ小さいからあんな話しを信じているんだ。

 私が窓を閉めるとなっちゃんが「さあ支度して! 出発だよ」と言ってくるくると回っている。私は仕方ないな、まあここからダブル・レインボウを見る限りそんなに遠そうにもないので散歩がてらに連れていってやるか、と支度を始めた。

 家を出るとなっちゃんは道すがら
「ねえ、どんな願い事をするつもりなの?」と聞いてきた。
「願い事なんてないかな」と私は答えると
「ええ! 何か欲しいものとかないの?」と聞く。
「俺、物欲ってないし」と私が答えると
「レコードとか本とか欲しいんじゃないの?」となっちゃんが言う。

「うん、これは大切なことなんだけどね、レコードとか本はちゃんとお店でお金を出して買わなきゃいけないんだ。

このお店良いなあと思ったら『ずっとお店続けてくださいね』という気持ちでお金を使う。このアーティスト良いなと思ったら『次の作品も期待しています』という気持ちでちゃんと買う。それが大人のルールなんだ。

まあいわば消費活動はある種の投票行為ということかな。不買運動という政治行動もあるけど、逆に『お金を使う』という積極的な政治行動も存在するんだ。わかるかな? 

だからある日神様がたくさん本とレコードをくれても俺はちっとも嬉しくなんかないな」と私は言う。

「ふーん、じゃあさ、もっとルックス良くなれば。バーのお客さん増えるかもよ」
「あのさ、俺はねかっこ良くないからお客さんは来るの。これがすごくかっこ良かったりするとみんな来ないの」

「そうか。じゃあさ、世界平和とかどう?」
「世界平和は素晴らしいけど、やはりそれは我々人類がひとつひとつ話し合って知恵を集めて勝ち取るべきものだと思うんだ。ある日突然神様に平和にしてもらっても意味はないと思うんだ」と私は言う。
「ふーん、願い事がないなんてつまんない人生だね」となっちゃんがわかったようなことを言う。

 そんな話しをしているとやがて目の前に虹の始まりが見えてきた(本当は途中で手紙を食べてしまった黒ヤギさんに出会ってみんなでその後の対策を考えたりしたんだけどその話しをすると長くなってしまうので省略)。

 虹の幅は意外と広く3メートルくらいはあった。なっちゃんが大喜びで虹の始まりに向かって走っていった。なっちゃんが「一番!」と言いながら虹に飛びついた。しかしもちろん虹に直接触れることは出来ず、そのまま虹の向こう側にストンと落ちてしまった。なっちゃんはとても不思議そうな顔をしている。

「なっちゃん、虹って色が付いているけどただの光だからさわれないんだよ」と私が言うと
「そんなことないよ。昔、絵本で虹の橋を動物達が渡っているのを見たもん」となっちゃんが悔しそうに言う。
「なっちゃん、あれは絵本だから作り話なんだよ。でもほら、これは現実だから虹はただの幻なんだ。虹は本当はここには存在しないんだ」
「何言ってんだ。虹はここにあるよ。存在するよ」と言ってなっちゃんは帰り道を歩き始めた。

「ところでなっちゃん、願い事は何にしたの?」と私が聞くと
「ヒミツ」と言う。
「どうせ、エサをもっとたくさん欲しいって言ったんでしょ」と私が言うと
「どうしてわかったの?」と不思議そうな顔で言う。
「そんなわかるよ、誰だって」と私は答えた。

 後ろを振り向くとダブル・レインボウはもう消えていた。今日は暑くなりそうだ。

              ●

 アントニオ・カルロス・ジョビンが書いた「ダブル・レインボウ」というとても美しい曲があります。この曲はポルトガル語詞だと「バラに降る雨」となりインスト曲だと「チルドレンズ・ゲーム」というタイトルになります。「林が書くのはいつも重すぎる」とよく言われるので今回は「ダブル・レインボウ」というタイトルを借りて可愛いファンタジーものを書いてみました。あ、なっちゃんは上の写真です。散歩していると必ず一回は道行く人に「可愛い!」と言われます。次回は「チルドレンズ・ゲーム」で書いてみます。

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 すごく個人的な宣伝をひとつ。作家で翻訳家の西崎憲さんが企画する同人誌に短編小説を応募したら採用されました(あの、結構お褒めいただきました)。興味のある方は読んでみて下さい。ちなみにこの同人誌には穂村弘フジモトマサルも参加する予定だそうです。
 ええと、本に何にも興味ない方は知らない固有名詞ばかりでなんのこっちゃって感じでしょうが、この人たち、現在の日本の本の世界では一番面白いシーンを作っている人たちなんです。そこに私も参加できたというのが嬉しくてちょっと宣伝でした。
 あ、ちなみに小説は自分なりに「戦争や殺すことの醜さ」のようなものをテーマに書いたつもりなのですが、すごくイヤな気持ちになるかもしれません。お気をつけ下さい。
posted by ベーマイストレス at 12:50| Comment(0) | ブログ

2009年06月02日

いかにしてボサノヴァ/ブラジル音楽にたどりついたか。

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 早いもので来月Barquinhoはオープン1周年を迎えます。この1年間なんとか営業出来てきたのは日頃ご来店いただいているお客様のおかげ。ほんとうにありがとうございます。まだまだ至らぬ点ばかりですが、ぜひ今後もBarquinhoをよろしくお願いします。

 ちょうど1周年の7月11日(土)にはBarquinho店内でイベントを予定しています。現在決まっているのはサブリナ&サンチェスとアルトゥール・ヴィタウのライヴ。この日はノーチャージでこの若きブラジリアンたちの素晴らしいステージを楽しんでいただこうと思っています。また、その他のイベントも現在企画中ですので、もし面白いアイデアがあればぜひヒガシノまで教えてください!

 さて、お店が1周年を迎えるということで今回は初心に立ち返って「どうやって自分はボサノヴァ/ブラジル音楽にたどりつき愛好するようになったのか」を書いてみたいと思います。お恥ずかしながら現在放置状態になっているHP「これがボサノヴァ」の初期(10年くらい前)にも同様のことを書いていましたが、HPをリニューアルした時に削除してしまったので、少し補完しながらもう一度ここに書いてみますね。

 今まで長いあいだ音楽に関係する仕事をし、また、自分で演奏活動もしてきたのですが、いまだに飽きずにそれを続けているのは間違いなく、中学2年の時にビートルズに出会ったから。いきなりブラジル音楽とは全く関係ありませんが、これは自分にとって揺るぎない事実なのです。詳細は忘れましたが、ジョン・レノンがインタビューで「若い頃はロックン・ロールだけがリアルだった」という発言をしていたはずですが、まさに自分にとっても同様に“音楽”だけがリアルで、それ以外のことは全く見えなくなってしまったのです。ギターを独学で始めたのもその頃でした。
 
 その後はUKロック好き少年のおきまりのコース、ハードロック、プログレ、パンク、ニューウェイヴ、ネオアコと様々に追体験、原体験を重ねていきました。ただ、ある時期からロックが徐々に自分にとって“リアル”ではなくなってきて、ジャズやソウル、そしてワールド・ミュージックにも手を出しはじめます。1988年くらいのことでしょうか。

 バブル経済まっただ中、僕は全くその恩恵を被ることなくバンド活動なんかしながら地元の喫茶店で安い時給でアルバイトしていたのですが、そのお店はけっこういろんなジャンルの音楽がアナログ盤で揃っていて、暇な時はそのレコード群を片っ端から聴いていました。そんなある日、それらのレコードの中からアストラッド・ジルベルトのアルバム(恐らくベスト盤だったと思う)に出会ったのです。アストラッドはヘタウマ・ヴォーカルと呼ばれることが多いけれど、20代前半の僕にはえらく大人の音楽に聞こえたし、使われているコードやリズムはそれまで聴いたことのないものだったのでとても印象に残りました。ただその当時はインターネットも無く、ボサノヴァやブラジル音楽の情報源も限られていたので、まだまだ“ハマル”といったところまでは行きませんでした。

 本格的に自分でもボサノヴァを演奏したいと思ったのは1992年の冬のこと。PAの仕事をしている友人が「ある結婚式のパーティーで藤原カオルさん(大阪では有名なギタリスト)がボサノヴァのライヴをするから見に来ないか」と誘ってくれ、知り合いでもないそのパーティーで初めて生演奏のボサノヴァを聴いた時のことでした。それまでボサノヴァは聴くだけのもので、自分で演奏できるとは思いもしなかったのですが、カオルさんの軽やかなギター、自然体の演奏を聴いてどうしても自分でもやってみたいと思ったのです。

 とはいえ当時は今ほどボサノヴァの教則本が充実していなかったし、音源もなかなか入手しづらかったので、とりあえず『ゲッツ/ジルベルト』に入っている「イパネマの娘」や「コルコヴァード」などのスタンダードナンバーのジョアン・ジルベルトによるギター伴奏を、一音一音耳でコピーしていきました。それまで3声のコードか、せいぜいメジャー・セブンスぐらいしか弾いたことがなかったのでそれを解読するのはとても時間がかかったし、難しかったのを覚えていますが、単純にコードを覚えるよりはその構成音の成り立ちを理解するのに良い体験だったと思っています。また、ポルトガル語というそれまで聞いたことの無い言語を、意味もわからず聞こえるがままに真似をして歌うのも楽しかったです。

 同時期にJICC出版局から『ボサノヴァの歴史』が出版されていて、それを繰り返し読み込んだのも、さらにのめりこんでいくきっかけとなりました。「ボサノヴァがいかにして生まれ世界に羽ばたいていったのか」のみならず、それを作った若きアーティスト達の青春ストーリーにも心を奪われたのです。膨大な人名、作品名が出てくるこの本はブラジル音楽の知識が高まるほど新たな発見がある、ボサノヴァ・ファン必携の書といえるでしょう。

 また、1993年には現在廃盤になっている『ジョアン・ジルベルトの伝説』が東芝EMIから発売され、ここでもう決定的に僕はボサノヴァから逃れられなくなってしまいました。初期のジョアン・ジルベルトの躍動的なギター、抑制が効きつつも伸びやかなヴォーカルはそれまで聴いたことのない所に僕を連れて行ってくれたのです。この作品はジョアン・ジルベルトのデビューから3作目までのアルバム曲の順番を入れ替え、モノラルの音質を疑似ステレオにしたもので、この編集が問題になって再発することができないみたいですが(ジョアンとレコード会社の係争?)、カタチはどうあれ初期のジョアンの演奏を聴けないのはボサノヴァ初心者にとって不幸なことだと思います。今はネットで検索すれば聴く方法はいくつかあると思うので、ぜひボサノヴァ初心者の方は探して聴いてみて欲しいです。

 以上が、僕がボサノヴァに出会った大まかな経緯ですが、その後さらにずぶずぶとブラジル音楽にのめりこみ現在に至っています。そのあたりを今後も書いて行けたらなと思いますので、よろしくお願いします。もちろんお店にお越しいただけたら、もっと突っ込んでお話いたしますよ!

posted by ベーマイストレス at 13:47| Comment(0) | ブログ

2009年05月21日

肉とダンス・カルチャーの明るい未来

宿口 豪 http://www.blenblenblen.jp

皆さん、肉喰ってますか〜?

5月の連休最終日にウチの店恒例の多摩川シュハスコをやりました。

シュハスコってな〜に?という方も多いことでしょう。
シュハスコとはブラジル式のバーベキューです。

一般的なバーベキューと何が違うか?

まず、塊肉を豪快に焼いて、焼けたところを削ぎ落として食べるという点に特徴があります。
しかし我々は人数が多いということもあり、スライスして焼いちゃうものが多いんです。

じゃあ他に何が違うんだよっ!と言われれば、味付けが違います。ココがポイントですよ。

我々日本人が鶏肉を色々な部位に分け、串焼きにして焼き鳥を楽しむように、ブラジル人は牛肉を細かな部位で楽しむワケですよ。

そしてその部位に合わせて様々な味付けがされるのです。ブラジルの味付け3つの要素、塩・にんにく・ヴィネガー(もしくはライム汁)を中心にマリネ液を作り、肉をじっくり漬け込んで焼くのです。

でもシュハスコの基本といえば、岩塩ですよ、塩のみ。

そう、牛肉を塩味で頂くのです。コレがビールに合うんだな、サイコー!

特にシュハスコの花形、ピッカーニャ(イチボ)に岩塩をパラリとかけて焼き、そこに野菜のヴィネガー和え(モーリョといいます)をかけて喰らうのが、もうたまりません。

決して軟らかくないですよ。噛んで噛んで肉の旨みを味わうんですよ。
肉ってそうやって味わうもんだと思います。マグロでいえば美味い寿司屋の赤身って感じかな。中トロでもトゥー・マッチというか。脂のノリよりも旨みを重視しちゃいますね。

日本の焼肉屋で特上カルビのタレを食って「やわらか〜い、溶ける〜ぅ」とか言ってるヤツの口にピッカーニャの塊を突っ込みたくなります。
シュハスコの味を覚えると焼肉屋とかストレス感じるかも。

そして牛肉以外にも、鶏ハツ、ソーセージ、豚バラ、鳥手羽、海老、パイナップル、いろいろ焼きまくりっスよ。

そんなシュハスコ、渋谷でも食べることができます。僕の超お気に入り店デース。是非行ってみてくださいね!


そんなこんなで多摩川のシュハスコだったワケですが、当日はあいにくの悪天候となってしまいました。

前日の予報は降水確率30%、曇り時々雨ってな感じだったので、なんとかなるだろうと見切り発車したらマンマと雨が。
しかも気温もグングン下がり風はビュービュー、フジロックフェスティバルの1回目のようだ、なんて声も聴かれるような壮絶な有様。

川の中州で焼いていたのですが、警備のオッチャンから「このままだと川が増水して中州に取り残されるぞ〜」なんて忠告をもらったのですが、まさかねー、なんてダラダラ焼きそばを焼いていたワケですよ。
すると午後5時頃でしょうか、いよいよホントにヤバいらしいという連絡を受けたものですから、慌てて荷物をまとめて河川敷に移動したんですけど、ものの15分で本当に中洲への道が川の流れに消え失せましたよ。ビビるわ〜。
危うく新聞に「バカなブラジル好き集団、中州に取り残され大迷惑」的な見出しが付いてしまうところでした。
皆さん、自然をナメないでくださいね!

そんなドタバタ劇にもかかわらず、当日90人を越える方々に来て頂きました!
正直そこまで来てもらえるとは思わなかったのでビックリ、感激でした。
僕が地元群馬県大泉町に帰って用意してきた40`の肉は若干余りましたが、みんなモリモリ喰らっていただきました。

晴れていたら130人オーバーだったと予想されるので、完食してもらえたことでしょう。みんな肉好きなんですね!


さて、当日参加者の方から「雨なのにこんなに人がいっぱい集まるのスゴイね〜、クラブ・イベントだってこんだけ集めるの大変なのに〜」なんてお褒めの言葉を頂戴したのですが、なるほどねぇ〜なんて思ってしまったワケです。

確かに僕が昔レギュラーでやっていたパーティーも、小箱とはいえマックスで60人くらいしか呼べてなかったかもな〜、なんて。
DJもライブもナシ、肉だけで100人集まるんだから、やっぱり肉ってスゲー!って思ったのです。
こないだのB+2イベントには250人もの方に来て頂きましたが(ありがとうございました!)、もし『B+2+肉』だったら300人オーバーだったかも!

かつてディスコ全盛の頃ってエントランス・フィー払ったら店内ではフリー・ドリンク、フリー・フードだったんですよね?
それってやっぱり嬉しいッスよね、特に若い連中には。

味はともかく、腹が満たされることが保障されてるんだから、そりゃ踊りに行くだろうな〜なんて。
万が一音楽がつまんなかったり、イイ女・男がいなくても、最低限食い物があればハズした感は和らぐというか。

今のクラブって食べ物扱ってないのに再入場禁止だったりするじゃないですか。
やっぱり踊ったり酒飲んでると、どうしても小腹減りますよね。
美味しいもの飲んで食いたいからタダじゃなくてもいい、せめて食べ物扱ってほしいな〜。

そこで提案!

クラブで肉を出したらいかがでしょうか!?

焼いた肉をサンドしたものでもいいし、ラップ・サンドみたいなものでもいい。牛でもチキンでも豚でもいい。
とにかく食べやすい肉料理を出したら、人気でるんじゃないスかね。

肉は人を惹きつける力があります。音楽、酒、人、そして肉。
ダンス・フロアーの片隅からほんのり肉の焼ける匂いがすれば、みんな「このイイ匂いはどこだ?」ってなるに違いない。みんな買うよ、少なくとも僕は買うね。

海外のクラブとか行った帰りにみんなケバブ喰うでしょ?やっぱり肉だよ。

そういえば僕もDJで参加させてもらってる人気イベントSamba-Novaでは昔からフード・ブースだしていますよね。みんなブラジル飯楽しみにしてるよね。サスガ、先見の明があるネ、ナリータ。

肉を出せば集客に大いに貢献することは間違いない。
ダンス・カルチャーの明るい未来は肉が切り拓くのだ〜!
posted by ベーマイストレス at 17:24| Comment(0) | ブログ

2009年05月08日

バラに降る雨

 林 伸次 http://barbossa.com/


 私の四国の実家のすぐ裏には大きなバラ園があった。

 それはバラ園とは言ってもガラスで建てられた大きな温室で、出荷販売が目的のバラ農園だった。その温室はちょうどテニスコートが二つくらい入る大きさで、高さは普通のアパートの二階建て分くらいはあった。

内部には電気やガスも通り、寒い冬の日の夜には暖房やライトが付けられた。そんな日には温室のガラスにたくさんの結露が出来て、やわらかい光が温室の外側にもこぼれ落ち、農園とは無関係の私も、今バラが大切に守られて少しづつ成長しているんだなと安心した。

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 私がまだ幼かった頃、両親が県営住宅を出て自分達の家を建てようということになった。両親は週末になると郊外の色んな物件を見て回った。そしてある時このバラ園の隣にある売り地を見て「ここにしよう。ここなら毎朝バラの香りに包まれて目覚めることが出来る」と母が決めたそうだ。

 実際のところは、毎朝バラの香りに包まれて目覚めるなんてことは不可能だった。バラが咲く時期はほんの短い期間だったし、温室の扉は閉じられていたのでバラの香りは私達の家までは届いてこなかった。逆に私達の家に届いてきた香りと言えば、しょっちゅう散布していた農薬の刺激的な異臭か、肥料の独特のちょっと香ばしい匂いだけだった。

 しかしバラが咲く時期になると、私達の家からは温室の中の満開のバラが見え、ヨーロッパの田舎にいるような気がしたし、出荷時にはこちらの方までバラの甘い香りが届いて来るような気がした。

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 このバラ園を経営している家族は三十代後半の感じの良いご夫婦と私と同い年の女の子の三人家族で、彼らは曜日に関係なくよく三人でバラの世話をしていた。

 私の母が仕入れてきた情報によると、この家族は以前は東京の世田谷区に住み、ご主人は大手の出版社で勤め、奥様は中学の英語の教師をしていたそうだ。二人の間に娘さんが生まれ、最初のうちは近所に住むご主人のお母さんに娘を見てもらっていたが、こんな状況は不自然だと思い、さっさと二人は退職し田舎での生活を計画しはじめた。

 最初のうちは茨城や静岡、長野といった首都圏に近い場所を探していたのだが、こんな考えではいつまでたっても都市生活から離れられないと考え、迷いを振り切るために、誰も知人がいなくて都市へのアクセスも不便で、しかし温暖で物価も安い四国を選んだのだという。

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 私の家はその温室の入り口のすぐ向かい側に位置したので、天気の良い日にはバラ農園の家族三人がそのバラ園の前で農機具を洗ったり、出荷の準備をしたりという作業が眺められた。

 四国でのバラ農園経営というのが経済的にどうなのかはわからなかったが、彼らはそのバラ園のすぐ隣に洋風二階建てのこじんまりとした趣味の良い家に住んでいたし、毎年一度は家族で海外旅行に出かけていたので、今考えてみるとそれなりに裕福な暮らし向きだったのかもしれない。

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 その家族の女の子の話をしよう。彼女はしょっちゅう農作業をしているにもかかわらず肌は色白で髪は肩まで伸ばしていた。目は一重で顔は小さく鼻筋が通り唇も薄くいわゆる典型的な和風美人だった。

 農作業を手伝っている時はジーンズにTシャツという格好だったが街の方に外出する時はフレアの広いスカートに品の良い白のブラウス、あるいは色の薄いワンピースといった服装を好んだ。私と道ですれ違うと彼女のほうから元気な声で「おはようございます」や「こんにちは」といった挨拶をしてくれたが、それ以上の会話は何も交わさなかった。

 今思い出してみると彼女は相当清楚で可愛い女の子だったのだが、その頃の私はまさか彼女に恋心なんて抱かなかった。彼女は県内に唯一の大学付属の私立の学校に通っていたので接点なんかなかったし、まあ想像つくと思うが私は普通に県立の地元の学校でクラスの女の子や部活動の女の子と普通の恋をしていたので、彼女のことを恋愛の対象となんて考えることすら思いつかなかった。

 しかし、今になって考えてみると彼女は自分達とは別の世界の人間なんだと私は考えていたのかもしれない。例えば夏休みに東京からやって来るその家族の友人達は私の周りにいる人達とは全く雰囲気が違った。彼らは大きなラジカセをバラ農園の前に置き、大きな音でジャズを聴きながらその農園の家族と一緒に農作業を楽しんだ。夕方になるとバーベキューの用意をし、みんなで赤ワインを飲みながら遅くまで色んな話をしていた。その会話はもちろん全員標準語だったので、当時の私にとってはなんだかテレビ・ドラマを見ているような気分になった。

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 高校を卒業すると、彼女はオーストラリアの大学に進み、私は東京の大学に進んだのでしばらくの間は彼女には会わなくなっていた。夏休みや正月に帰省すると彼女の姿をバラ農園で見かけたが、結局私は彼女に声をかけなかった。その時点で私は彼女の美しさに気付いていたし、東京生活にも慣れその家族の標準語にも違和感を感じなくなっていたのだが、やはり彼女は私にとっていつまでも遠い存在でいてほしかったのかも知れない。

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 その後、彼女のことなんて全く忘れてしまっていたが、私はある日、突然、週刊誌の記事の中で彼女に再会することになった。

 彼女はオーストラリアで原因不明の死を遂げたらしい。そしてその記事は彼女のオーストラリアでの派手な生活ぶりや乱れた男性関係について報告していた。写真にはいかがわしいパーティで裸同然になっている彼女がいて、記事は一方的に彼女の乱れた生活について糾弾し、彼女の不幸な死については何も触れていなかった。

 記事は海外での日本人女性の乱れた性生活という話しでしめくくられていたが、私が気になったのは写真の中の彼女がとても楽しそうで、こんなに楽しそうな彼女の表情を見たのは初めてだなということだった。
 
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 それから3年後、久しぶりに実家に帰った私は母からバラ農園の夫妻は東京に戻ってしまったという話しを聞いた。旦那さんの方は結構しっかりしていたのだが、奥さんの方がかなり精神的におかしくなっていたそうだ。

 バラ園は誰も世話をしていないのにたくさんのバラの花が咲き乱れていた。大きな温室の前でそんなバラを眺めていると突然雨が降り始めた。私は雨を避けるためにバラの温室の中に飛び込んだ。

 考えてみるとこのバラの温室に入ってみるのは初めてのことだった。小さい頃からずっと眺めるだけだった美しい色とりどりのバラ達の中に今私はいる。しかしバラの甘くて濃厚な香りはあまりにも強すぎて私はむせかえしそうになった。

 そうか、昔母が憧れていたバラの香りに包まれるということはこんなに苦しい気持ちだったんだと私は思った。あのバラ園の家族達もこのバラのあまりにも過剰な香りには最後の方はちょっとまいってしまっていたのかもしれない。

 外の雨は強くなり始め、温室のガラスの外側を滝のように雨水が流れ始めたが、この温室の中のバラには一滴も外の雨は降りかからなかった。

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 アントニオ・カルロス・ジョビンの「バラに降る雨」というとても素敵な曲があります。この曲はインストの時は「チルドレンズ・ゲーム」、英語詞の時は「ダブル・レインボウ」というタイトルになります。先日、NRTの成田さんに「林さんのあのどろっとした文章」とリクエストされたので、この「バラに降る雨」というタイトルを借りてちょっと書いてみました。次回は「ダブル・レインボウ」で書いてみます。

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 雨つながりでひとつ。先日、西荻窪を妻と娘と3人で散歩していたら「雨と休日」というとても素敵なCD屋さんを偶然発見しました。もし自分がバーなんてやってなかったらこんなCD屋さんをやってみたかったなあと思いました。HPではこのお店の良さは伝わらないかもです。是非みなさま、現実のお店に行って、そして買って下さい。あ、私が入店した時はジョアンのブラジルがかかっていましたよ。                   
 
posted by ベーマイストレス at 06:28| Comment(4) | ブログ

2009年05月01日

村上春樹と『ミナス』

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barquinho ヒガシノリュウイチロウ http://barquinho.biz/

 音楽好きかつ活字好きな男子の御多分に洩れず、20代から30代前半にかけては村上春樹氏の小説に少なからず影響を受けました。しかし、様々な要因からここ十年くらい彼の小説から遠ざかっていたのですが、ここ最近、エルサレム賞での講演が話題になったり、『ノルウェイの森』が映画化されるということから、未読だった『スプートニクの恋人』や『海辺のカフカ』などを読み、『ノルウェイの森』や『風の歌を聴け』を再読したりしています。
 12年ほど前、村上朝日堂というホームページがあって、その中に村上春樹氏が読者からのメールに答えるというコーナーがあり、僕もなにげなく送ってみたのですが、なんと一度だけ本人から返事が来たことがあったのです。内容的には僕が、「村上さんの小説にはボサノヴァが少し出てきますが、他のブラジル音楽は聴かれますか?僕は最近ミルトン・ナシメントの『ミナス』にはまっているので強くおすすめします」的なことを書いたら、「ブラジル音楽は以前から好きで、『ミナス』は何度聴いても素晴らしい。バーデン・パウエルも素敵ですね」みたいな返事を送ってくれ、とても嬉しかったのを覚えています。
 さて、この『ミナス』というアルバム。僕は70年代MPBの金字塔と思っているのですが皆さんはどうお感じですか。僕がブラジル音楽、というかボサノヴァを真剣に聴き始めたのは1992年頃で、先の村上氏へのメールを書いた時期はそれから5年ほど経過していました。当時は今ほどボサノヴァの音源が豊富に巷に出回っていなかったものの、その5年間で主要なボサノヴァのアルバムは大体聴き終わっていましたし、もちろん、ミルトン・ナシメントも何枚かのアルバムは聴いていましたが、あまり強い印象が残っておらず、『ミナス』は聴いたことが無かったのです。そんな1997年、『ミナス』はブラジルでのリリース(1975年)から22年の時を経て初めて日本でリリースされました。当時僕は『ミナス』を聴いて、その完成度の高さ、深遠さ、そしてミルトンの作品中この作品がだけが持っているある種の“悲しみ”の感覚に打ちのめされました。ミルトンはビートルズの大ファンということですが、まさに『ミナス』にはビートルズの音楽が持っていたのと同様の“悲しみ”の感覚が宿っているように感じたのです。ちょうどその当時、私生活でいささかショッキングなことがあり、その心境と『ミナス』がシンクロしていて、それこそ毎日毎日聴き続けたものでした。
 村上春樹氏の小説にもビートルズ、そして『ミナス』と同様の“悲しみ”の感覚があると感じていたので、彼がすでに『ミナス』を聴いていたことは嬉しかったし、自然なことに感じられたのです。小説『ノルウェイの森』のあとがきで彼は“アテネの安ホテルの部屋にはテーブルというものがなくて、僕は毎日おそろしくうるさいタベルナに入って、ウォークマンで『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のテープを120回くらいくりかえして聴きながらこの小説を書きつづけた。そういう意味ではこの小説はレノン=マッカートニーのa little helpを受けている。”と書いています。『サージェント・ペパーズ』は僕の無人島ディスクの一枚だし、日本版CD『ミナス』のボーナストラックにはミルトンによる「ノルウェイの森」のカヴァーが入っています。僕は、バルキーニョに来られたお客さんとお話をしてロック好きだとわかった人にはまず「ミルトンの『ミナス』は聴いたことがありますか?」と尋ねることにしています。そして聴いたことが無いという方には『ミナス』をお聴かせしているのですが、その、一般的なブラジル音楽の認識からかけ離れたサウンドに驚かれる方が多いですね。ただし、『ミナス』をかけるのは深夜、ゆっくりお話できる時間帯に限らせてもらってます。軽くお酒を飲んで楽しみたい人にはちょっと重すぎる音楽だと思うので…。

posted by ベーマイストレス at 14:32| Comment(0) | ブログ